真矢ミキの若い頃が美人!昔の写真と現在を画像比較

真矢ミキさんは、元宝塚歌劇団花組トップスターという輝かしい経歴を持つ女優です。

現在も舞台やドラマ、映画等で幅広く活躍しています。

そんな真矢ミキさんの、若い頃が美人!と言われているのをご存知でしょうか?

そこで今回は、真矢ミキさんの昔の姿と現在を振り返りながら、徹底検証していきます!

若い頃から現在までの経歴も一緒に見ていきましょう!ぜひ、最後までお付き合い下さい!

目次

真矢ミキのwikiプロフィール

  • 名 前 :真矢 ミキ(まや みき)
  • 本 名 :西島 美季(にしじま みき)
  • 生年月日:1964年1月31日
  • 年 齢 :62歳(2026年4月現在)
  • 出身地 :広島県広島市
  • 血液型 :O型
  • 主な肩書:女優

真矢ミキさんは、広島県広島市出身の62歳です。

大地真央さんに憧れ、中学校卒業後宝塚音楽学校に入学しました。

1981年67期生として宝塚歌劇団に入団

以降、宝塚退団後芸能界入りを果たし、多数の映画やドラマに出演されます。

2008年にバレエダンサーの西島千博さんと結婚!

俳優業だけではなく、演出や執筆など第一線で現在も活躍中です。

真矢ミキの若い頃が美人!

若い頃の真矢ミキさんは、「革命児と言われるほどの斬新なスタイルと美しさをで絶大な人気でした。

そんな真矢ミキさんの若い頃が美人!と言われた理由を3つに分けて紹介していきます。

  1. 「正統派」と「色気」の圧倒的な美貌
  2. 信念を曲げない!「自分らしい美学」
  3. かっこいい女性の先駆けと言えるオーラ

1.「正統派」と「色気」の圧倒的な美貌

1981年に宝塚歌劇団に入団し花組のトップスターになった真矢ミキさん。

若い頃が美人!と言われる理由の1つ目は「正統派」と「色気」を兼ね備えた圧倒的な美貌です。

非の打ち所がない正統派美人!

スッと通った鼻筋にどこか涼し気な意志の強さを感じる瞳が特徴的です。

指先一つ、首の角度にもこだわり正統派の顔立ちと中世的で気高いオーラがありました。     

ミステリアスな色気を兼ね備えていた

男性役を演じても女性役を演じても「絵になる」圧倒的な華を持っていました。      

2.信念を曲げない!「自分らしい美学」

若い頃が美人!と言われる2つ目の理由は真矢ミキさん自身の信念を曲げないという強い気持ちと美学です。

「宝塚の男役はこうあるべきだ!」という固定概念を壊し真矢ミキさん自身の感性で演じていました。

当時タブーだった長髪(ロン毛)の男役を確立

髪型だけではなく、舞台メイクをナチュラルにするなど現代的な男性像を追求していたそうです。

「自分に似合う美しさ」を自ら作り出す知性の持ち主

周囲から怒られながらも自らの信念を貫く姿勢が、まさに真矢ミキさんの美学と言えますね!

3.かっこいい女性の先駆けと言えるオーラ

若い頃が美人!と言われる3つ目の理由は、まさに「かっこいい」女性の先駆けと言えます。

「凛とした強さ」と「ユーモア」を持っている

真矢ミキさん自身が信じる「美学」を貫く姿は、自立した女性の象徴でした。

宝塚音楽時代は成績が39人中37番という劣等生だった

そんな真矢ミキさんがトップスターになれた理由は努力を惜しまず、弱さを知っているからこその強みと言えます。

このことも笑いながら話す、気取らないサバサバした性格こそまさに「かっこいい」女性像の先駆けです。

以上の事から、真矢ミキさんの若い頃が美人!と言われている理由でしょう。

真矢ミキの若い頃~現在まで

ここまでは真矢ミキさんの若い頃が美人!と言われる理由について見ていきました。

ここからは、真矢ミキさんの経歴を見ていきましょう。

  1. 10代:宝塚歌劇団への入団、スター街道の始まり
  2. 20代:若手スターとしての頭角、男役の追求
  3. 30代:波乱万丈!激動の10年
  4. 40代:ドラマ・CMでの活躍
  5. 50代~現在:新たな挑戦・還暦を迎えポジティブに謳歌

1.10代:宝塚歌劇団への入団、スター街道の始まり

10代の頃の真矢ミキさんです。

1979年に中学校卒業後、15歳で宝塚音楽学校に入学、17歳で第67期生として宝塚歌劇団に入団しました。

15歳で厳しい芸事や軍隊のような規則正しい生活を送る別世界へ

宝塚入団後は私服でもスカートを一切履かず、「男性」を演じるために歩き方や話し方までを研究していたそうです。

私は10代後半から20年間ほど、“男”として過ごしてきた。(イヤイヤ、正確には男役)当時、舞台上ではもちろんのこと、プライベートでもスカートは1枚も持っておりませんでした。

 従って20年近く、うら若き果実のような女性感強い20代を全部パンツスーツで走り抜け、闊歩してきたのだ。

 宝塚の男役というのは長い歴史のなかの様式美というものがあって、私が入ったころは今より自由度も少なく、男役とはこういうものです、と歌舞伎の形(かた)のような男役像を日々学び習得していた毎日でした。 

引用元:NEWS ポストセブン

型にはまる事を嫌う性格はこの頃から始まっていたそうです。

特に宝塚の伝統の濃いメイクや髪型などに対し「もっと自然な自分を見せたい」という気持ちが強くありました。

異端児としての芽生えや自分らしさを模索し始めた葛藤の時期

10代は青春をすべて宝塚に捧げ、唯一無二の個性の土台を作った時期と言えます。

2.20代:若手スターとしての頭角、男役の追求

20代の頃の真矢ミキさん。

「新人」から「若手スター」に成長、次期トップスター候補へと駆け上がった時期です。

「宝塚の掟という殻」を破り始めた風雲児へと飛躍

20代前半から男役として頭角を現し、20代後半には若手スターとして注目されるようになったそうです。

この頃の真矢みきさんは怒涛の舞台スケジュールをこなしていたそうです。

花組の主要メンバーとして常に舞台の中心にいた

10代の頃の「修行」の積み重ねが、華やかなスター街道を突き進んだ時期です。

20代は完全に「真矢ミキしかできない」と言われる男役を確立していった時代と言えます。

3.30代:波乱万丈!激動の10年

30代前半の真矢ミキさんは宝塚トップスターとして黄金期を築いた時代です。

宝塚入団後14年目でトップスターに就任する

トップスターは時代は、宝塚の長い歴史の中で「革命」と言われるほど異色で華やかな時代と言われていました。

「ヅカの革命児」として宝塚の伝統を次々に塗り替えていった

劇場外でも、宝塚現役スターとして初めて日本武道館でのソロライブの成功をおさめました。

他にも、人気写真家の篠山紀信さんを起用し写真集を出版するなど極めて異例な活動で伝説となりました。

舞台上では、圧倒的なスターオーラで芝居・歌・ダンスでファンを魅了していました。

1988年人気絶頂のなか惜しまれつつ、宝塚歌劇団を退団しました。

サヨナラ公演でも自由で型破りなスタイルを貫き「宝塚でやるべきことはすべてやり尽くした」

多くのファンが宝塚に現代的な風を吹き込んだ真矢ミキさんの最後を目に焼き付けました。

宝塚退団後の真矢ミキさんは華やかな時代からは想像もつかない衝撃的な時代を迎えます。

人生最大の「挫折」と「どん底」を味わう

宝塚退団から数年、38歳の時に当時の事務所から事実上の解雇通知を受けました。

男役のイメージが強く、映像の世界では「使いづらい」と判断され仕事が激変していました。

仕事が0になり、マネージャーもいない状態になり、自ら履歴書を書いてオーディションに参加していたそうです。

39歳の時に、人生を賭けて「踊る大捜査線THE MOVIE2」のオーディションを受け大抜擢されました。

挫折を通して味わった「悔しさ」や「冷めた視線」が役柄に見事はまった

30代は華やかしいスター時代から一度完全に失い、泥臭い一人の「俳優」として生まれ変わった激動の10年でした。

4.40代:ドラマ・CMでの活躍

40代の真矢ミキさん女優としての地位を確立、私生活でも充実した年ととなりました。

宝塚時代のトップスターのオーラを活かした役が多かった

42歳で出演した「アテンションプリーズ」では厳しい教官役を演じ人気を博しました。

「理想の上司像」を完全に確立したと言えるドラマと言えますね!

43歳で出演した「ガリレオ」では余裕のある大人の色気とユーモアを兼ね備えた監察医を演じました。

49歳ではシーズン2が放送され、6年の歳月を感じさせない美しさが大きな話題になりました。

「強く自立した職業女性」を演じ同世代の女性の支持を得る

40代の真矢ミキさんは「自立した女性」の生き方が高い評価を得て、名誉ある賞を多く受賞しました。

第16回日本ジュエリーベストドレッサー賞受賞

宝塚歌劇団退団後、女優としての輝きを認められた象徴的な賞でした。

44歳の時に私生活でも大きな転機がありました。

ダンスアーティスト(バレエダンサー)の西島数博さんと結婚!

真矢ミキさんは44歳、西島数博さんは36歳と8歳差の結婚として話題になりました。

2002年の舞台「スターダスト・イン・上海」での共演がきっかけでした。

おしどり夫婦としても知られ、結婚後も舞台などで共演をし仲の良さをアピールしていたそうです。

40代前半~後半にかけて出演していた「茶のしずく石鹸」のCMです。

「あきらめないで!」のフレーズで有名に

凛とした表情でカメラを見つめて言うこのセリフ!

挫折・どん底から這い上がってきた真矢ミキさんだからこそ説得力があり彼女の代名詞となりました。

5.50代~現在:新たな挑戦・還暦を迎えポジティブに謳歌

50代を迎えた真矢ミキさんは女優業だけではなく情報番組のMC等新たな挑戦を行っていた時期でした。

高卒認定試験への合格!

中学卒業後、宝塚へ入学した為最終学歴が中卒でした。

53歳になり「知ったかぶりはしたくない」高卒認定試験に挑戦し、見事合格しました。

51歳から約4年半朝の情報番組「ビビット」のメインMCを努めました。

高卒認定試験を受けるきっかけとなったと語っていたそうです。

57歳の時には、40代でも受賞した日本ジュエリーベストドレッサー賞の50代部門を受賞しました。

「最も輝いている50代」の1人として選出

50代になっても衰えない美しさと輝きで評価されました。

40代の「あきらめないで!」の代名詞を50代でも体現し続けた10年でした。

60代を迎えた現在では活動の幅を広げている真矢ミキさん。

第9回プラチナエイジスト受賞

60歳以上の「輝き続けるプラチナ世代」に贈られる賞です。

授賞式では「60代は解放。もっと自由に、もっと楽しみたい」と前向きなメッセージを語っていました。

「自分をアップデートしたい」という思いから単身でオーストラリアへ語学留学に行きました。

多国籍な若者たちと勉強に励む

自身の経験や留学生活、50代での学びなどを書いたエッセイの執筆を精力的に行っているそうです。

現在は「人生の第3章」を楽しみながら、ドラマやCMなど幅広く活躍されています!

真矢ミキの昔の写真と現在を比較

真矢ミキさんの若い頃は涼し気で鋭い目力が特徴的でした。

「不良っぽさ」や「色気」を感じさせるモダンな美しさ

若い頃は中世的でエッジの効いた「端正で華やかな顔立ち」でした。

現在は大人の色気とかっこよさを両立させています。

「自分らしさを出していきたい」と自然体な美を追求

体型やスタイルもしっかり維持され美しさを保っていますね!

宝塚時代のパンツスーツを「戒めの1着」として活用

還暦を過ぎても劣化せず、進化をし続けている真矢ミキさん、これからもたくさんの活躍に期待です!

真矢ミキの若い頃まとめ

今回は、真矢ミキさんの若い頃について振り返りました。

  • 10代:宝塚歌劇団へ入団、「異端児」「革命児」としての芽生え
  • 20代:「男役」の掟を破り「風雲児」としての飛躍を遂げる
  • 30代:天と地を体現した激動の10年、地からの復活
  • 40代:女優としての確立、ドラマやCMに引っ張りだこに
  • 50代~現在:学ぶ姿勢を忘れず人生の第3章を謳歌中!
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