長年にわたり日本の政界を支えてきた麻生太郎さん。
ユーモアを交えた独特の発言や堂々たる所作で「存在感のある政治家」として知られます。
そんな麻生太郎さんですが、「若い頃に射撃でオリンピック出場?」と話題になっているんです。
そこで今回は、その真相を確かめました。
昔の写真と現在の姿を比較しながら、歩んできた経歴を振り返ってみましょう!
麻生太郎のwikiプロフィール

- 本 名 :麻生 太郎(あそう たろう)
- 生年月日 :1940年9月20日
- 年 齢 :85歳(2025年9月現在)
- 出身地 :福岡県飯塚市
- 血液型 :A型
- 主な肩書 :政治家(衆議院議員)/元内閣総理大臣
麻生太郎さんは、福岡県出身の85歳です。
学習院大学卒業後に海外留学を経験し、実業家を経て政界へ進出。
総理大臣や副総理、財務大臣など、国の大事な仕事を長く務めてきました。
今では「保守の重鎮」と呼ばれるほど、大きな存在感を放っています。
麻生太郎が若い頃に射撃でオリンピック出場?

今では政治家として、豪快でユーモアのある発言が注目される麻生太郎さん。
そんな麻生太郎さんについて、ネット上でも「若い頃に射撃でオリンピック出場?」と話題になっています。
アン王女がモントリオールオリンピックの馬術代表選手だったらしいよ、と夫に伝えたら「1976年モントリオールオリンピックの射撃日本代表選手は麻生太郎だよ」という、想像の斜め上の返答が返ってきた‼️ https://t.co/j9IAmF8TKM
— かうぞう (@kauchin) July 29, 2024
麻生太郎、射撃でオリンピック出てたの面白すぎるだろ
— たこやき (@maruzen1235man) March 19, 2024
政治家の麻生太郎さんも若い頃は射撃競技やってたみたいですね
— かにかま (@kanikama1025) July 16, 2024
昔オリンピック日本代表とかにもなってたような
麻生太郎は若い頃にオリンピックの射撃で日本代表として出場していた!
現在の堂々とした政治家としての姿からは、想像がつかない一面かもしれませんね。
その知られざる実績を2つのポイントに分けて見ていきましょう!
- モントリオール五輪への挑戦
- 国内外での優勝経験
モントリオール五輪への挑戦
#いいにくいことをいう日
— もき (@FavoriteCats13) November 29, 2023
麻生太郎氏はスナイパー😲
1976年モントリオール五輪にクレー射撃日本代表として出場したオリンピアン✨#オリンピック pic.twitter.com/YkKJDj9hqI
こちらは、若い頃にクレー射撃で活躍していた麻生太郎さんの写真です。
サングラスに大きなイヤーマフ、そしてライフルを構えた姿は落ち着いた迫力を感じますね。
政治家としてのスーツ姿とは全く異なる、若き日のアスリートならではの凛々しさが際立っています。
35歳の時、モントリオールオリンピックにクレー射撃(スキート種目)の日本代表として出場しました。
クレー射撃で41位!

結果は41位に終わったものの、世界最高峰の舞台に立った経験は大きなものです。
そもそも、オリンピックに出場できるのは、各国から選ばれた限られた選手だけ
そこに名を連ねたという事実自体が、麻生太郎さんの射撃の実力を裏づけていますね。
また、麻生太郎さんの若い頃の射撃での活躍は、ネット上で「まるで漫画の登場人物」と評されることもあります。
せっかくなので(?)この機会に誰か麻生太郎(元クレー射撃オリンピック選手、元総理大臣)の事も思い出してあげてほしい
— ケイ (@around30female) August 1, 2024
オリンピックでの成績はふるわなかったけど、全日本選手権では当時の日本新記録で優勝、メキシコ国際射撃大会で団体/個人で優勝、この人も何気に漫画の登場人物だよなーと思うなど🤔 https://t.co/eSmJJLG6wY pic.twitter.com/IphO4FcyuC
国内外での優勝経験

オリンピックだけでなく、麻生太郎さんは国内外の大会でも目覚ましい実績を残しています。
- 1974年 メキシコ国際射撃大会:スキート個人で金メダル
- 全日本選手権:3回優勝
- 世界選手権:5回出場
- モントリオールオリンピック:41位
特に大きな成果となったのが1974年のメキシコ国際射撃大会です。
これは日本クレー射撃協会が開催した国際大会で、麻生さんはスキート個人で金メダルを獲得。
日本代表として輝かしい結果を残しました。
麻生太郎は、若い頃から国内外で結果を残してきたトップレベルの射撃選手だった
麻生太郎の若い頃~現在まで

今でこそ“風格の象徴”とも称される麻生太郎さん。
そこに至るまでにはどんな人生を歩んできたのでしょうか。
その歩みを年代別に見ていきましょう!
- 学生〜20代前半:国際的な環境で育つ
- 20代後半~30代前半:射撃競技で活躍
- 30代後半:実業家から政治家へ
- 40代:結婚と議員としての基盤を築く
- 50代:経済企画庁長官として初入閣
- 60代:ユーモアと決断力で挑んだ総理時代
- 70代~現在:党を支える存在
1.学生〜20代前半:国際的な環境で育つ

麻生太郎さんは、代々続く政治・財界の名家に生まれました。
そのため、幼少期から自然と「世界と関わる視点」を持つことになります。
学生時代は学習院大学で経済学を学んだ後、3つの大学に留学し、国際的な視野を広げました。
- スタンフォード大学(アメリカ)
- ロンドン大学(イギリス)
- シエラレオネ大学(アフリカ)
これらの大学での留学生活は、異文化を直接体験する貴重な機会となったのです。
欧米と発展途上国、その両方を体験したことは、後の政治姿勢に影響を与えたといえる
2.20代後半〜30代前半:射撃競技で活躍
こちらは、1975年度の全日本選手権スキート部門で優勝した際の麻生太郎さんです。

当時34歳頃の麻生太郎さん。
政治家としての厳しいイメージとは異なり、この頃は若々しく柔らかな雰囲気が際立っていますね。
爽やかな笑顔と整った顔立ちで、イケメンぶりが際立っています。
麻生太郎さんは20代後半から本格的にクレー射撃に打ち込みました。
瞬く間に国内トップレベルの選手へと成長!
全日本選手権で3度の優勝を果たし、安定した実力で日本射撃界を代表する存在となります。
さらに挑戦の場を海外へ広げ、世界選手権にも5回出場。
その経験を積み重ねながら、世界の舞台でも名を知られる選手へと躍進しました。
そして1976年のモントリオールオリンピックに日本代表として出場。
結果は41位でしたが、オリンピックの舞台に立ったことは、それだけで貴重な経験だったといえます。
若き日のショットガンを構える姿に、SNSでは「どおりで様になっているわけだ」と驚きの声もあがっています。
若かりし頃の麻生太郎さんがショットガンを構える姿(※画像参照)を見て、気になって調べたら麻生さん、モントリオール五輪でクレー射撃で日本代表として出場した経歴があるらしい。どおりで様になってるワケだ。 pic.twitter.com/SQZrj3mZ
— Otomania (@otomania_net) February 15, 2013
射撃競技で鍛えられた集中力や精神力は、のちの政治活動におけるリーダーシップの礎となったと考えられる
3.30代:実業家から政治家へ
こちらは30代の麻生太郎さんです。

スーツにネクタイをきちんと着こなし、真面目で知的な雰囲気が漂っていますね。
柔らかい笑顔からは親しみやすさが感じられます。
実業家としての挑戦
射撃競技の舞台から離れた後、家業である麻生セメント株式会社(現:株式会社麻生)の経営に携わります。

国際的な視点を取り入れながら事業の拡大に貢献しました。
しかし、オイルショックで日本経済が不安定に‥!
当時はオイルショック後の影響で日本経済が不安定になり、セメント業界も厳しい状況に直面。
そんな中でも、海外市場への進出や新しい経営手法を模索した麻生太郎さん。
「困難な状況でも打開策を見つける行動力」を培っていきます。
この経験が後の「経済に強い政治家」としての評価につながる
実業家としての挑戦

30代後半で実業の経験を積んだ麻生太郎さんは、やがて政治の道を志すようになります。
本格的に地元・福岡のために動く政治家として活動をスタートしました。
地元を歩き、住民の声を聞き続ける日々を重ねます。

1979年(昭和54年)、ついに衆議院議員選挙に初当選。
実業家として培った経営感覚を武器に、地元産業の立て直しや雇用の確保といった課題に向き合い続けます。
産業や雇用の課題に真剣に取り組む政治家としての一歩を踏み出した!
4.40代:結婚と議員としての基盤を築く
こちらは、1986年の衆参同時選挙でのひとコマです。

当時45歳の麻生太郎さん。
30代の柔らかさに比べ、落ち着きと自信がにじみ出ています。
真剣なまなざしで聴衆に語りかける表情からは、政治家としての自覚と責任感が強く伝わってきます。
結婚と家庭の歩み
1980年11月3日、40歳のときに元首相・鈴木善幸の三女、千賀子さんと結婚しました。

結婚生活のスタートは、ちょうど政治活動を本格化させる時期と重なります。
家庭を築きながら、夫婦で力を合わせて国政へ挑んだ!
夫婦で地元・福岡をまわり、支援を訴える姿は地元紙にもたびたび取り上げられました。
議員としての基盤を築く
40代に入った麻生太郎さんは、衆議院議員としての活動をさらに広げていきます。

石炭産業の衰退や地域経済の停滞といった課題に直面する中で、地元企業の振興や雇用対策を訴え続けました。
選挙区を一軒一軒まわり、有権者と直接言葉を交わした麻生太郎さん。
身近に感じられる存在として、多くの人に受け入れられ支持を固めていきます。
また国政の場では、経済政策や外交に積極的に関わりました。
実業家時代に培った経営感覚と国際経験を生かしながら、議員としての基盤を着実に築いた!
5.50代:経済企画庁長官として初入閣
こちらは、1996年に経済企画庁長官として初入閣した麻生太郎さんの記者会見での姿です。

当時55歳頃の麻生太郎さん。
髪はきっちり整えられ、ダークスーツに身を包んだ姿は堂々としています。
表情は引き締まり、真剣な眼差しからは大臣としての責任感がにじみ出ていますね。
1996年、橋本龍太郎内閣で麻生太郎さんは経済企画庁長官として初入閣を果たします。
バブル崩壊後の混乱期に、経済政策の舵取りを担う重責を引き受けました。
「ただの議員」から「政権を支える政治家」へとステップアップした!
6.60代:ユーモアと決断力で挑んだ総理時代
こちらは、第92代内閣総理大臣に就任した麻生太郎さんが、記者会見を行っている場面です。

当時67歳頃の麻生太郎さん。
年齢を重ねたことで顔立ちには一層の深みが加わっています。
鋭い目元と引き締まった口元が、政治家としての責任感をはっきりと感じさせますね。
首相就任とリーダーとしての重責
2008年、第92代内閣総理大臣に就任した麻生太郎さん。

世界金融危機や国内景気の悪化といった難局に直面しながらも、持ち前の国際感覚と決断力で対応。
しかし2009年9月16日、衆議院選挙での大敗を受け、麻生太郎さんは首相を退任しました。
短命政権ではあったものの、経済・金融の危機対応に全力を尽くしたことが、一部には評価されます。
「危機の時代を舵取りした首相」として語られることも
豪快な性格と迅速な決断力は、困難な時期だからこそ印象が強く残りました。
弁舌で存在感を示す
この頃から「弁舌の麻生」と呼ばれるようになった麻生太郎さん。

外交交渉や政策議論の場では、持ち前の歯切れのよさとユーモアを交えた話しぶりが注目を集めました。
麻生外務大臣は、時にユーモアを交えつつ、具体例を挙げながら分かりやすい説明を行い、会場からは笑いや拍手が沸き起こる場面もしばしばでした。
引用:外務省
その独特の語り口は政治家としての武器となり、党内外での発言力を大きく高めていきます。
総理として危機に立ち向かいながら、ユーモアあふれる弁舌で存在感を示した
7.70代~現在:党を支える存在
こちらは77歳頃の麻生太郎さんです。

深いシワや鋭い目つきには、長年の政治経験を積み重ねてきた重みがにじみ出ています。
強く結んだ口元からは、真剣に物事へ向き合う緊張感が伝わってきますね。
70代に入った麻生太郎さんは、首相経験者として自民党の中枢を支える立場に回りました。
特に消費税や財政健全化といった課題では、時に厳しい発言も辞さず、党内外に大きな影響を与えました。

総理大臣を退いた後も、麻生太郎さんは自民党内で長年にわたり重責を担い続けています。
現在も、「保守の重鎮」として若手議員からも頼られる存在となっている
SNSでは今も応援の声が多く寄せられています。
麻生太郎という男、あまりにも面白くて外から見ている分には本当に好き。これは政治云々ではなく人間の話をしています。
— いつもの篠目 (@sasame_itis) September 19, 2025
麻生太郎最後の闘い。
— ヨッシー (@SGx2HIIR7Q64pXd) May 10, 2025
頼む麻生太郎
頑張れ麻生太郎
麻生太郎の昔の写真と現在を比較
昔から精悍でハンサムと評されてきた麻生太郎さん。
では、現在の写真と並べて印象の変化を見ていきましょう。

若い頃の麻生太郎さんは、鋭さと同時に柔らかな笑顔もあり、親しみやすさが感じられました。
爽やかなイケメンといった印象を与えますね。
一方、現在の麻生太郎さんは、顔つきに深みと重厚さが加わりました。
鋭い眼差しと落ち着いた表情からは“政治家としての風格”がにじみ出ています。
若い頃の軽やかな魅力から、現在の堂々とした風格へと変化した
麻生太郎の若い頃まとめ
今回は、麻生太郎さんの若い頃について調べました。
- 若い頃にオリンピックの射撃で日本代表として出場していた
- 学生時代は国際的な視野を養った
- 30代には実業家としても活動している
- 39歳で衆議院議員に初当選し政治の道へ
- 第92代内閣総理大臣に就任、日本を率いる立場に立った
- 現在は最高顧問として自民党を支える保守の重鎮と呼ばれている
- 歳を重ねることで、重厚さが加わり政治家らしい風格へと変化した

コメント