政治の世界で存在感を放ち続ける高市早苗さん。
力強い発言と確かな実績で注目を集め、今なお第一線で活躍する姿は多くの人を惹きつけています。
そんな高市早苗さんですが、実は「若い頃はテレビキャスターだった?」と話題になっているんです。
そこで今回は、高市早苗さんの若い頃の写真と現在を比較しながら、その経歴を振り返ってみました!
政治の道へ進んだきっかけもあわせてご紹介しますので、一緒に見ていきましょう。
高市早苗のwikiプロフィール

- 本 名 :高市 早苗(たかいち さなえ)
- 生年月日 :1961年3月7日
- 年 齢 :64歳(2025年9月現在)
- 出身地 :奈良県奈良市
- 血液型 :A型
- 主な肩書 :政治家(衆議院議員)/元総務大臣
高市早苗さんは、奈良県出身の64歳。
持ち前の発信力と行動力を武器に、政界へと飛び込んだ現役感あふれる政治家です。
芯の強さと行動力で注目を集め、女性議員としても異例の存在感を発揮。
安倍政権以降は、大臣として重要な役割をいくつも担い、国の政策に深く関わってきました。
今は党内外で存在感を保ちながら、テレビや講演などを通して積極的に発信を続けています。
高市早苗の若い頃はテレビキャスター?

今では閣僚経験もあるベテラン政治家として知られる高市早苗さん。
そんな高市早苗さんについて、最近ネットで「若い頃はテレビキャスターをしていた?」と話題になっています。
高市早苗って昔は深夜テレビで蓮舫と一緒にキャスターやってたのか、知らなかった。深夜テレビのキャスターから日本のトップに登りつめる間近まで来ていると思うと色々と考えさせられる。政策はともかく、世襲じゃないとか庶民アピールしたら大衆受けしそうだが、あまりそういうシーンは見かけない
— アリスト_一生毎日vlog更新中 (@aristocalm) September 26, 2024
高市早苗さんがテレビのキャスターで出てきた時、日本人女性がアメリカの政治活動のお仕事できるんだって感心したこと思い出した。とうとうこの人が初の女性総理大臣になるのか?
— マリーママ (@LtCGagRsWUbhW6e) September 27, 2024
現在の堂々とした政治家としての姿からは、想像がつかない一面かもしれませんね。
そこで今回は、高市早苗さんの「キャスター時代」と「なぜ政治家になったのか」に注目してご紹介します。
- 若い頃はテレビキャスターとして活躍
- 政治を志すきっかけ
1. 若い頃はテレビキャスターとして活躍
高市早苗さんは大学卒業後、1980年代後半にテレビキャスターとして活動しました。
こちらの写真は、その当時の姿を写したものです。

輪郭はすっきりとしていて、眉や目元が柔らかい印象を与えています。
落ち着いた表情で視聴者に安心感を与える雰囲気が出ていますね。
- テレビ朝日『こだわりTV PRE★STAGE』
- フジテレビ『朝だ!どうなる』
これらに出演し、視聴者に分かりやすくニュースや社会問題を伝えていました。
同僚からの評価も高かったそうで、難しい経済問題を扱う際には、彼女の冷静な判断と的確な説明が番組を成功に導いたと言われているようです。
当時は、同じくキャスターとして活動していた蓮舫さんと共演する姿もあります。

今振り返ると非常に豪華な顔ぶれですね。
知的で落ち着いた話しぶりと、清楚な雰囲気で人気を集めていた!
2. 政治を志すきっかけ
実は、高市早苗さんはテレビキャスターになる前に松下政経塾の第5期生として入塾していました。

在塾中に出会った松下幸之助さんの言葉や教えは、その後も政治家としての心の指針となっています。
在塾中に得たものは、今も日々の政策判断や行動に際して「物差し」としている確固たる価値観です。
引用:松下政経塾
つまり、政治を志す明確なきっかけは、松下政経塾での学びと松下幸之助さんの教えにあったといえます。
では、なぜテレビキャスターになったの?
本人が「なぜキャスターになったか」について明確に語った記録は残っていません。
政経塾で培った知識や視野を活かし、社会問題を分かりやすく伝える役割を担ったことが背景にあると考えられます。
高市早苗の若い頃~現在まで

今でこそ“保守の象徴”とも称される高市早苗さんですが、そこに至るまでにはどんな人生を歩んできたのでしょうか。
その歩みを年代別に見ていきましょう!
- 学生〜20代前半:政治の原点
- 20代後半:海外経験と社会への発信
- 30代:初当選と政治家としての出発
- 40代:政策を動かす存在へ
- 50代:党を支える立場に
- 60代~現在:「保守」の象徴へ
1.学生〜20代前半:政治の原点
こちらは、大学時代の高市早苗さんです。

実はこの頃は音楽活動に熱心で、ドラムを担当していたことがあるそうです。
顔がはっきりとは分かりませんが、どこか芯の強さを感じさせる顔立ちをしていますね。
高市早苗さんは、1984年に神戸大学経営学部を卒業後すぐに、松下政経塾の第5期生として入塾。
ここでは政治や経済に加え、茶道や坐禅、自衛隊体験入隊など幅広く学びました。
松下政経塾は「将来のリーダーを育てる場」として知られ、単なる講義だけでなく、様々な体験を通じて人間力を磨く教育を行っている
高市早苗さんは、塾主・松下幸之助さんとの交流を通じて、政治家としての志と思いを固めたそうです。
2.20代後半:海外経験と社会への発信
こちらはテレビキャスター時代の高市早苗さんです。

大学時代は少女らしさが印象的だったのに対し、20代後半になると知的で芯のある女性へと成長しています。
キャスターとして人前に立つことで、落ち着きのある大人の表情へと変わっていますね。
そこで国の法律がつくられる現場を見て、政策ができる流れを学びました。
その経験は、今後の政治家人生に大きな影響を与えたそうです。
28歳で帰国すると、地元・奈良のロータリークラブ例会で紹介されました。
「奈良に、神戸大学の経営学部を卒業して、松下政経塾を卒業し、政治家を目指している若い女性がいる」
「なかなかのベッピンさんで、『朝から生テレビ』などにもよく出演していて、話は面白い」
この紹介からもわかるように、当時すでに高市さんは「将来の政治家候補」として地元で知られる存在に。
さらにこの頃は、テレビ番組『こだわりTV PRE★STAGE』や『朝だ!どうなる』のキャスターとして出演。

知性と信頼感を兼ね備えた人物として全国的に注目を集めていきます。
こうした海外経験とキャスターとしての発信力は、30代に入って挑んだ初めての選挙で大きな武器となった
3.30代:初当選と政治家としての出発
こちらは、政治家デビュー直後の高市早苗さんです。

20代の頃と同じ知的さに加えて、政治家としての自信と責任感が顔立ちや雰囲気に現れてきています。
カメラに向き合う堂々さが増し、落ち着いた笑顔に変化していますね。
高市早苗さんは30歳で政治の世界に挑戦しましたが、自民党の公認を得られず、結果は落選。
当時は「怪文書がばらまかれた」とも伝えられ、政治の厳しさを痛感することになりました。
しかし、ここで諦めなかったのが高市早苗の強さ!
翌1993年、衆議院選挙に挑戦し、32歳で見事に初当選を果たしました!
初当選後は、通商産業政務次官や国会の委員長など、重要な役職を歴任。

30代という若さながらも、「しっかりした発信力」と「実務に強い政治家」という評価を確立していきます。
またこの時期には、エッセイ『30歳のバースディ その朝、おんなの何かが変わる』を出版。

実は、高市早苗さんが肉食女子だったことが分かる1冊となっています。
プロローグで〈恋の話をいっぱい書くことにした〉〈「頭の中は恋のことでいっぱい」のプライベートライフには呆れられてしまうかも〉と宣言した通り、男性遍歴を赤裸々に記している。
引用:日刊ゲンダイ
4.40代:政策を動かす存在へ
こちらは、2006年の就任時記者会見に登場した高市早苗さんです。

肌のハリは保たれていますが、表情に重みが加わり、政治家としての風格が漂いますね。
政治家としての信頼感を高めつつ、女性としての上品さも失われていません。
高市早苗さんの40代は、政策の実務を担い、同時に人生の大きな転機も迎えた時期でした。
それぞれの出来事を見ていきましょう。
【41歳】経済産業副大臣として
2002年に経済産業副大臣に就任。

小泉政権のもとで、企業の活性化や雇用を守る課題に取り組みました。
高市早苗さんは、かたい机上の話ではなく、実際に企業や地域の現場に足を運びました。
そこで「現場での課題把握」に重きを置く政治を体感していった
【43歳】教育の場でも活躍
2004年、43歳のときに近畿大学経済学部教授に就任。

「産業政策論」や「中小企業論」を担当しました。
政治家としての経験と教育者としての立場、その両方を持ったことで視点が広がったそうです。
その結果、現場の経験をもとに、わかりやすく学びを伝える存在へと成長した
【43歳】結婚という選択

2004年、高市早苗さんは衆議院議員の山本拓さんと結婚。
実は二人は交際0日婚夫婦でした。
政治家としての山本代議士の顔しか知りませんので、生活を営む相手として性格が合うのかしら・・等、不安はございましたが(現在もまだそうなのですが・・)、「前向きに結婚を望んで入るタイミングでこんなお話をいただいたのも、貴重なご縁かな」と思うに至り、即断即決で、1週間後にOKの電話を致しました。
引用:高市早苗 コラム
結婚のエピソードからも、その行動力と潔さが伝わってきますね。
【45歳】大臣としての転換点
2006年には内閣府特命担当大臣に。

- 科学技術や少子化
- 男女共同参画
- 食品安全
- イノベーション
など、幅広い政策分野を担い、日本のこれからに直結する課題に取り組みました。
新しいテーマにも果敢に取り組み、政治家としての信頼と存在感を確かなものにした
5.50代:党を支える立場に
こちらは54歳の高市早苗さんです。

短く整えた髪と引き締まった輪郭で鋭い印象を与えています。
若い頃の柔らかさよりも、経験を重ねた迫力と凛々しさが前面に出ていますね。
2014年から2017年、さらに2019年にも再び総務大臣を務めました。
放送や通信、地方自治といった分野で政策を推進。
情報通信の急速な変化に対応するための制度づくりなど、日本社会の基盤を支える役割を担っています。
2016年からは、マイナンバー制度担当大臣としても活動!

行政手続きの効率化や国民生活の利便性向上をめざし、制度の普及や周知に尽力しました。
50代後半には、経済政策をめぐる議論の場でもリーダーシップを発揮。
「アベノミクスの継承」や「新しい経済成長モデルの構想」に携わり、党内外から注目される存在となりました。
50代の高市早苗は、党の運営から政府の仕事まで、さまざまな場面で役割を果たし続けた
6.60代~現在:「保守」の象徴へ
こちらは、60代で演説を行い、笑顔でガッツポーズを見せる高市早苗さんです。

表情は力強く、聴衆に語りかけるような笑顔が印象的です。
目元には年齢ならではの深みが出ていますが、それがむしろ自信や迫力を際立たせています。

「日本の伝統や国益を守る」という保守的な立場を鮮明に打ち出した候補として話題に。
特に「経済安全保障」の必要性を早い段階から訴えた点は評価され、党内の保守層を中心に強い支持を得ました。
同じ年の10月には経済安全保障担当大臣に就任。
日本の独立性を守る政策に携わりました。
高市さんの発信は「保守の視点から未来を守る政策」として国内外から注目されています。
60代の高市早苗は「自民党内の保守を代表する存在」として認識されるようになった
その姿勢は、政治家としての実績だけでなく、多くの国民からの支持にもつながっています。
私が高市早苗を支持している理由は、奈良のおかしさを改善出来てきた部分を持っているという実績と、
— 月清 (@tsukikiyora) September 2, 2025
実際の政策は保守も内包できる範囲のリベラル的な方面なので信用できると思っている。
ガチ右派の人は失望するかもしれないけど、私はそんな理由で彼女を支持している。
総裁選か?!解散か?😭
— み~✨💍✨ (@0409tommy) September 2, 2025
私は何があろうと「高市早苗」を支持します。
頑張ってください😊
高市早苗の昔の写真と現在を比較

昔から清楚な印象と評されてきた高市早苗さん。
では、現在の写真と並べて印象の変化を見ていきましょう。

20代の高市早苗さんは、すっきりとした目元やシャープな輪郭が印象的で、清楚さと若々しさが際立っていました。
柔らかい微笑みも相まって、親しみやすい雰囲気が漂っています。
現在の高市早苗さんは、目尻や口元に年齢の深みが加わり、表情全体から落ち着きと強さが感じられますね。
年齢を重ねたことで落ち着きが増し、政治家らしいしっかりとしたまなざしへと変わりました。
高市早苗の若い頃まとめ
今回は、高市早苗の若い頃について調べました。
- 高市早苗は若い頃、テレビキャスターとして活動していた
- 松下政経塾の第5期生として入塾したことがきっかけで、政治家を目指した
- 32歳で衆議院選挙に挑戦し、見事に初当選した
- 2014年〜2017年、2019年に総務大臣を務めた
- 2021年に、初めて自民党総裁選に出馬した
- 「自民党内の保守を代表する存在」として認識されている
- 歳を重ねることで、政治家らしい風格へと変化した

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