デビューから約40年に渡る現在まで数々のヒット曲を生み出してきた坂本冬美さん。
CMソングにも起用された「また君に恋してる」や代表曲の一つである「夜桜お七」など
皆さん一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
そんな坂本冬美さんは若い頃からきれいだったと話題になっています。
そこで今回は、坂本冬美の若い頃と現在の比較をまとめてみました!
若い頃からの経歴についても調べましたよ!
当時の歩みを振り返りながら、一緒に見ていきましょう。
坂本冬美のwikiプロフィール

- 名 前 :坂本 冬美(さかもと ふゆみ)(本名同一)
- 生年月日 :1967年3月30日
- 年 齢 :58歳(2025年11月現在)
- 出身地 :和歌山県西牟婁郡
- 血液型 :O型
- 主な肩書 :演歌歌手
坂本冬美さんは58歳の和歌山県出身です。
19歳でシングル「あばれ太鼓」でデビュー。80万枚を超える大ヒットとなりました。
新人賞などを多数受賞する華々しいスタートを切りました。
一度の活動休止を経て現在も歌手として第一線で活躍し、代表的な演歌歌手の一人として名をはせています。
坂本冬美の若い頃がきれい!

今も芯の通った力強く透明感のある美しさでファンを魅了している坂本冬美さん。
実は「若い頃が美人」と話題になっていました。
坂本冬美氏の若い頃に騒然としている我が家
— 進撃の花中島 (@mesookometubu) February 6, 2018
若い頃の坂本冬美がめっちゃ可愛。
— アイランドホッパー (@cincostyle) June 20, 2019
あっ今もお綺麗ですが💦
はしだのりひこの絡んでるのがビックリ👀‼️
若い頃から貫録を感じさせる美しさだったようです。
ここからは、2つの時期に分けて見てみましょう!
- 【デビュー当時】素朴な美人
- 【ブレイク期】貫録のある美人
【デビュー当時】素朴な美人

こちらは、デビュー当時の一枚です。
すっきりとした鼻筋と涼しげな切れ長の目が印象的。
メイクは派手ではなくナチュラルメイクですが、素の表情がそのまま絵になりますね。
この時代から落ち着いた雰囲気を持ち合わせていたことが分かります。
当時から演歌らしい和装姿が似合う姿と凛々しさが評価されていた

デビュー前にはNHKの歌番組『勝ち抜き歌謡天国』で名人となり「関西演歌大賞カラオケコンクール」でも優勝を果たしました。
作曲家・猪俣公章のもとで修業を積んできた経験もデビューしてすぐブレイクする要因の一つとなったのでしょう。
【ブレイク期】貫録のある美人

次なるヒット曲となった「祝い酒」ジャケットの坂本冬美さんの写真です。
落ち着いた雰囲気に加え貫録が出てきましたね。
日本人らしい和服姿の似合う、素朴な美しさです。

学生時代から将来の夢を演歌歌手として掲げていたようです。
「昭和歌謡はいろいろな歌がたくさんありましたよね。『今さらジロー』や『お久しぶりね』はカラオケでよく歌いましたし、『二人でお酒を』は小学生の頃、本当に大好きで、大人の歌なのに子どもが口ずさんでいました。今回はあの頃の昭和歌謡のイメージで作っていただきたいとお願いしたんです」
引用元:朝日新聞
故郷の人々に愛されているのも、生まれ育った頃からの人間性ゆえなのでしょう。
「故郷があって、帰ればいつも変わらずに接してくれる人たちがいるから、私はこの道を歩んで来られた。それを忘れてしまったら、私はもう終わりですね。そう思います」
引用元:双葉社 THE CHANGE
こうした日々の積み重ねが、意志の強さを感じられる美しさの源ではないでしょうか。
若い頃の坂本冬美は、デビュー当時もブレイク期も美人だったといえる
坂本冬美の若い頃~現在まで

現在では演歌界を代表する歌手となった坂本冬美さん。
そこに至るまでにはどんな歩みがあったのでしょうか。
年代別に振り返ってみましょう!
- 19歳:演歌歌手としてデビュー
- 20代:数々の賞を受賞。NHK紅白歌合戦初出場など大きな注目を浴びる
- 30代:約1年間の活動休止を経て再び精力的に活動
- 40代:最大のヒット曲「また君に恋してる」リリース
- 50代~現在:演歌歌手として第一線で活躍を続ける
1.19歳:演歌歌手としてデビュー
こちらは、19歳で演歌歌手デビューした頃の坂本冬美さんの写真です。

すっきりとした顔立ちと、自然体の魅力が引き立っていますね。
ナチュラルメイクですが、その分パーツの整った顔立ちと透明感がいっそう際立っています。
坂本冬美さんは18歳の時から約2年間、作曲家・猪俣公章のもとで内弟子として修業。
19歳「あばれ太鼓」でデビューしました。
当時坂本さんは「この歌は売れませんね」と言ってしまい、猪俣氏から大目玉をくらったとか。

ですが蓋を開けてみるとなんと80万枚の大ヒットに!
ご本人も驚いていたのではないでしょうか。

『第29回日本レコード大賞』などで数々の新人賞を獲得
いきなりブレイクを果たし猪俣の意向からプロダクション、レコード会社ともに坂本を大がかりに売り出したため、下積みは経験していないようです。
デビューから大きな成功をおさめた坂本冬美さん。
番組では幼少期のエピソードをこう語っています。
「物心ついたころから歌っていた」という坂本が、その才能を見込んだ祖父から、スターになった際の珍特訓を受けていたと明かす
引用元:ORICON NEWS
次々とヒット曲を生み出していった裏側には、祖父の珍特訓の成果もあったかもしれませんね。
デビューから大きな注目を浴び、華々しいスタートを切った
2.20代:数々の賞を受賞。NHK紅白歌合戦初出場など大きな注目を浴びる
こちらは24歳の頃の写真です。

落ち着いたまなざしと端正な顔立ちが際立ちますね。
大人びていますが、口元や表情にはほんのりとあどけなさが残っています。
HIS結成
24歳のときに細野晴臣・忌野清志郎と共に『HIS』を結成。
アルバム1枚、シングル2枚をリリースしています。

その後表立った活動は行われませんでしたが、2005年坂本冬美名義のシングルで14年振りに3人で制作した楽曲がリリースされました。
CMソングやテレビ番組のエンディングテーマに起用されるなど、人気を博しました。
1993年の紅白歌合戦では、アニメ『美少女戦士セーラームーン』のセーラーサターンにコスプレし、主題歌である「ムーンライト伝説」を披露。

森口博子、西田ひかると共に歌い話題となりました。
和服姿とは打って変わって、儚く美しい雰囲気が非常にマッチしていますね!
師匠との別れ
デビューからとんとん拍子で大きな活躍を収めてきた坂本冬美さんですが、同年には師匠である猪俣氏が55歳という若さで亡くなりました。

デビュー曲「あばれ太鼓」を筆頭に数々の代表曲を手がけた編曲家の京建輔は、内弟子時代について以下のように明かしています。
デビューする前から猪俣先生のご自宅に、住み込んでいらっしゃいました。お客さんが来るとお茶をいれたり、譜面のコピーをとったり、お手伝いさんのように家の中を走り回っていらっしゃいました(笑)。
引用元:TAP the POP
どちらかといえばそのほうがメインで、場合によっては運転手も。先生が六本木で飲むときなどは、送った後に運転席で帰りを待つなんてこともあったようですよ(笑)
多くの時間を共にしてきた師匠との別れの悲しみは計り知れません。
順風だった歌手生活に大きな揺らぎが・・・
その後、短歌連作「夜桜お七」を再構成する形で歌詞作成が行われ、
凛として鮮やかな姿の坂本冬美、どんなに辛い状況に置かれても強く生きようとするお七、実像と虚像を重ね合わせた歌詞が完成した。
引用元:TAP the POP
師匠との別れを周囲のたくさんの人々に支えられ乗り越えていった
3.30代:約1年間の活動休止を経て再び精力的に活動
こちらは、35歳の時活動を再開しリリースされたアルバムの写真です。

凛とした表情に深みのある大人の色気が増したように見えます。
30代前半:父の他界
1997年、坂本冬美さんが当時30歳の頃に実父が交通事故でこの世を去ります。
「父の死を受け入れられず、人生の応援歌を歌うのが精神的に辛くなった」と、歌への情熱が薄れてしまったという。
引用元:Wikipedia
精神的なダメージも相当なものであったのでしょう。
当人も虫垂炎で急遽入院。
持病の膵臓炎の悪化など過密なスケジュールの中、戦っていました。
30代後半:約1年間の活動休止からの復帰
デビューから怒涛の日々を駆け抜けてきた坂本冬美さん。
歌手活動15周年を迎えた2002年3月(当時35歳)心的負担により芸能活動を休止します。

自宅を売却するなど身辺整理をし、実家に戻った坂本冬美さん。
テレビで二葉百合子の「岸壁の母」を聴き感銘を受けます。
「強い精神力や喉を身につけられたら、また歌うことができるかもと二葉先生に手紙を書きました。そうしたら電話がかかってきて『元気そうじゃない。すぐにいらっしゃい』。会うなり『あなたも壁にぶつかったのね。それは成長なの。じゃあ、声を出してみましょうか』といきなり歌唱指導が始まりました」
引用元:サンスポ
坂本冬美さんから歌のレッスンを申し込まれた二葉百合子さんは、励ましの言葉をかけたといいます。

休業から1年後の2003年4月1日には芸能活動の再開を宣言されました。
演歌の世界から離れるも、救われたのはやはり演歌だった!
その後も精力的に活動を続けます。
坂本冬美さんの持つ色気や深みは、多くの悲しみや苦難を乗り越えてきたからこそなのかもしれませんね。
30代は、活動休止を経て今の坂本冬美さんをつくり上げる大切な期間だったといえるでしょう。
4.40代:最大のヒット曲「また君に恋してる」リリース
こちらは、2009年(当時41歳)の坂本冬美さんの写真です。

活動休止直後の表情とは打って変わって、強い女性像を感じさせる美しさです。
若い頃から貫録のある顔立ちでしたが、歳を重ねるごとに美しくなっていくように感じられます。
2008年 「和歌山県ふるさと大使」の第一号となる
2008年には地元「和歌山県ふるさと大使」の第一号となります。
生まれ育ち、活動休止中には心の疲れを癒してくれた地元への愛が伝わってきます。

初仕事はマグロ解体ショー、県庁訪問、和歌山城フェスティバルでのミニコンサートだったそうです。
また、2011年和歌山県田辺市で行われた「第62回全国植樹祭」の記念式典では天皇・皇后の前で国歌「君が代」を独唱しました。

私の出番まで、後1時間。(>_<)
とうとう雨が本降りとなってしまいました。会場の皆さんはカッパを着て、天皇皇后両陛下をお待ちしております。
皆さん!お天気パワーをお願いします!(T_T)引用元:坂本冬美オフィシャルサイト
自身のブログでもこのようにファンに向けて心境を報告していました。
「和歌山にいるときは、ご近所の『冬美ちゃん』だし、同級生にとっては『冬美』。キレイなお衣装を着て、華やかなライトで照らしてもらっていても、私の原点はここにある。ここで生まれ育った、歌が大好きな坂本冬美。みなさんに応援してもらえたからこれまで歌ってくることができただけの坂本冬美だと、帰るたびに感じます」
大好きな歌うことを仕事にしているからこそ、苦しくなってしまう時もあるのでしょう。
地元の和歌山は坂本冬美さんにとって、一人の女性に戻ることができる場所なのかもしれませんね。
「また君に恋してる」最大のヒット曲に
三和酒類「いいちこ日田全麹」のCMソングとして有名で、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
三和酒類側が、以前からいいちこのCMソングであったビリーバンバンの原曲のカバーを坂本冬美さんに依頼し実現したといいます。

坂本冬美さんは『また君に恋してる』
— tantaku (@aaa_tantaku) November 14, 2025
歌うのかな? https://t.co/lOmMbDqUiN
2025年の紅白歌合戦にも通算37回目の出場が決まっており、同曲の歌唱も期待されているようです。
40代は、活動休止を乗り越えさらに飛躍していったことが分かる!
5.50代~現在:演歌歌手として第一線で活躍を続ける
こちらは、近年の坂本冬美さんの写真です。

活動休止の際、身辺整理を徹底的に行い実家に戻ったことにより整形疑惑、死亡説などたくさんの憶測が飛び交っていました坂本冬美さん。
デビューから怒涛の日々を駆け抜けてきました。
新たな挑戦
50代に入った坂本冬美さんは新たな挑戦もされています。

2020年にはかねてからのファンであったサザンオールスターズの桑田佳祐の楽曲提供「ブッダのように私は死んだ」をリリース。
桑田さんが他の歌手に楽曲を提供するのは1997年以来約23年ぶりだといいます。
「この曲をリリースしたとき、弟から電話がかかってきて“桑田さんから曲を作ってもらったなんて、すごいな!”って興奮した声で言うんです。そんなことは初めてで、びっくりしました。理由を聞いて、さらにびっくり。私が家でずっと聴いていたサザンオールスターズのアルバムを、彼も自分の部屋で聴いていて、大好きになったんですって。」
引用元:双葉社 THE CHANGE
憧れの実現は家族との繋がりも作ってくれたのです。
さらに新曲「ほろ酔い満月」では懐かしい昭和歌謡の香りが漂う、大人の男女による恋の駆け引きを描いています。

「ここ数年、演歌の王道の作品が続いたので、何かちょっとガラッと変わった雰囲気のものをやりたいね、という話になりました。昭和の歌謡曲、例えば、梓みちよさんの『二人でお酒を』や、小柳ルミ子さんの『お久しぶりね』『今さらジロー』といった曲調のものをやってみたいね、と。これまでの私のシングルにそういった曲がなかったので、杉本眞人先生にお願いして曲を作っていただきました」
引用元:朝日新聞デジタルマガジン&[and]
インタビューで挙げた昭和の歌謡曲は、坂本冬美さんが子供のころから口ずさんでいた大好きな曲調だそう。
50代になった今も、歌手として新たな楽曲でファンを魅了している
結婚について
実は現在も独身の坂本冬美さん。
19歳でデビューし仕事に打ち込んできたため外に出歩くこともなく、付き合ってきた人たちも芸能関係者ばかりだったといいます。
インタビューではこのように語っています。
「結婚願望はすごくあったの、若い頃から。ずっとあったんです。(一番強かったのは)20代後半から30代にかけてじゃないですかね」と告白。それでも「(今は)もうないですね。ここまできたら。好きな人も(いない)。そういう感情ももう忘れちゃってます」とぶっちゃけた。
引用元:スポニチ
SNSでも自然体で周りの人々を大切にする坂本冬美さんは、世代を超えて支持され続けています。
坂本冬美さんお誕生日おめでとうございます😳😳冬美さんの唸り節、艶やかな歌、男気溢れるような歌、四人姫での素顔、乙女なところ、あやふゆの仲の良さ、独身ネタを使っちゃうところ、ファミリー思いなところ、結局全部になるけど、大好きです!!!
— ら (@enkakiyoshi) March 29, 2017
50年間で最高の一年になりますように💓 pic.twitter.com/lYGU7zNumn
坂本冬美さんの「ブッダのように私は死んだ」の歌詞に「所帯持つことを夢見た」という箇所がある。「結婚を夢見た」という表現より、直接的じゃなくて、なんだか深い。 pic.twitter.com/TJGx1yJ1ez
— きみどん (@kimidon_kuri) December 29, 2024
坂本冬美の昔の写真と現在を比較

若い頃のすっきりとした美しさが注目を集めてきた坂本冬美さん。
では、現在の写真と並べて印象の変化を見ていきましょう。

19歳の頃は、若さの中に貫録のある大人っぽさが魅力的な美人でした。
一方現在は、年齢を重ねるごとに増す大人の色気を纏った女性の魅力が輝きます。
顔周りは少しシャープになり、肌の色やまつげは現代の流行に沿っているように見えます。
貫録を感じさせる美人から、色気を纏った美人へ
若さの中に貫録を感じさせる美人から、女性らしい色気を纏った美人へと変化していきました。
坂本冬美の若い頃まとめ
今回は、坂本冬美さんの若い頃について調べました。
- 若い頃はデビュー当時もブレイク期も美人
- 19歳の時に「あばれ太鼓」でデビューした
- 20代は数々の賞の受賞など怒涛の日々を駆け抜けてきた
- 師匠、実父の死による心的負担により芸能活動を休止
- 休止期間を乗り越え大ヒット曲を生み出した
- ふるさと大使として地元和歌山にも大きく貢献
- 現在も新たな挑戦をするなど歌手として第一線で活躍
- 歳を重ねるごとに魅力が増している
- 美人なのは変わっていない

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