長年にわたり日本の音楽シーンを牽引してきた稲葉浩志さん。
力強い歌声と抜群のパフォーマンスで、多くのファンを魅了してきました。
そんな稲葉浩志さんですが、「若い頃の髪型がイケメン!」と話題になっているんです。
昔の写真と現在の姿を比較しながら、歩んできた経歴を振り返ってみましょう!
稲葉浩志のwikiプロフィール

- 本 名 :稲葉 浩志(いなば こうし)
- 生年月日 :1964年9月23日
- 年 齢 :61歳(2025年9月現在)
- 出身地 :岡山県津山市
- 主な肩書 :ミュージシャン(B’zボーカル)/シンガーソングライター
- 所属 :VERMILLION(事務所/レーベル)
稲葉浩志さんは、岡山県出身の61歳です。
大学卒業後に音楽活動を本格化させ、松本孝弘さんとともにB’zを結成。
デビュー以来、日本を代表するロックボーカリストとして活躍してきました。
B’zとしてアジア人初のHollywood’s RockWalk殿堂入りを果たし、海外からも高く評価されています。
今でも「日本を代表するロックシンガー」と呼ばれるほど、大きな存在感を放っています。
稲葉浩志の若い頃の髪型がイケメン!

今では日本を代表するロックシンガーとして、圧倒的な歌声と存在感で注目される稲葉浩志さん。
そんな稲葉浩志さんについて、ネット上でも「若い頃の髪型がイケメン!」と話題になっています。
Q.B'zの稲葉浩志さんみたいなカッコイイ髪型を真似したいのですがどうしたら良いですか?
— ラーメン大好きレナさん🍜 (@Lena_fd2_photo) April 15, 2020
A.まず稲葉浩志さんの様なイケメンになりましょう。
稲葉浩志の髪型かっこいいなぁ…と思いつつ、社会人には厳しいよね。。。
— なつみん (@natsumin74) May 23, 2014
それ以前にセンター分けが絶望的に似合わないから。。。
若い頃の稲葉浩志さんは、スタイリッシュな髪型で「イケメン」と評判でした。
整った顔立ちが髪型をさらに引き立て、より魅力的に映っていたのかもしれません。
そこで今回は、若い頃の稲葉浩志さんの髪型を2つの時期に分けてまとめました。
- 20代(デビュー初期〜90年代前半)
- 30代前半(90年代中期〜後半)
早速みていきましょう!
20代(デビュー初期〜90年代前半)
こちらは、27歳の稲葉浩志さんです。

短めの前髪を自然に下ろした爽やかなスタイルで、端正な顔立ちが際立っています。
全体的に長さは控えめで、耳にかかるかどうかくらいのすっきりとした長さ。
前髪はまっすぐ重く下ろすのではなく、軽くすいた感じで自然におでこに落としていますね。
髪に軽くレイヤーが入っているため、毛先に自然な動きが出ています。
ワックスやムースで固めるよりも、ナチュラルさを重視している印象

この頃の髪型は、ミディアム〜セミロングが中心。
前髪を自然に下ろしたり、センター寄りに分けたりといったシンプルなスタイルが多く見られます。
また、髪に軽いレイヤーを入れることで動きを出し、光の加減で陰影が生まれるようなスタイルも印象的です。
ファンからも「この頃の稲葉さんが特に好き」という声が聞こえてきますよ。
B’zのいいところって常に腰が低くて、とんでもないBIGアーティストなのに身近に感じるような寄り添う感じなんだよなぁ…。LIVEに行くとすごく感じる。10歳の頃から好きで、今も変わらず1番好き。若い頃の稲葉さん、この世のものとは思えないカッコ良さだったんですよ……
— めい (@maymarchmomo) July 19, 2023
20代は、シンプルで自然体な髪型を、端正なビジュアルがさらに輝かせていた
30代前半(90年代中期〜後半)
こちらは、32歳ごろの稲葉浩志さんです。

この時期は少し長めの髪に動きをつけ、毛先をラフに散らしたスタイルが特徴。
センター分けをベースにしながらも、軽いウェーブや無造作な質感を加えています。
30代前半ならではの、落ち着きとワイルドさが融合した髪型といえます。
30代に入った稲葉浩志さんは、髪型にも落ち着きや色気が加わっていきました。
大人の余裕を感じさせるスタイル!
この頃は、センター分けのミディアムヘアが代表的です。
前髪をしっかり分け、顔まわりに自然な流れを作ることで、視線の強さと整った輪郭がより際立ちます。

ライブの熱気や、ハードな楽曲に合わせた迫力ある雰囲気を演出していました。
「爽やかさ」よりも「色気」「カリスマ性」といった要素が強まった稲葉浩志さん。
こうした髪型の変化を経て、日本のロックシーンを象徴する存在感へと進化していきました。
20代後半の爽やかな髪型も、30代前半の大人っぽいスタイルも、稲葉浩志の若い頃の髪型はイケメンだと言える
稲葉浩志の若い頃~現在まで

今でこそ“日本を代表するロックシンガー”として知られる稲葉浩志さん。
そこに至るまでにはどんな人生を歩んできたのでしょうか。
その歩みを年代別に見ていきましょう!
- 学生〜20代前半:教師志望からロックスターへ
- 20代後半:国民的ロックアーティストへと駆け上がる
- 30代:ソロで磨いた歌声と家庭人としての素顔
- 40代:海外での飛躍とソロでの探求
- 50代〜現在:試練を超えて、挑戦を続ける
1.学生〜20代前半:教師志望からロックスターへ
こちらは、20代前半の稲葉浩志さんの写真です。

シャープな輪郭とすっきりした目鼻立ちが際立っています。
顎に手を添えたポーズも自然体で、飾らないのにどこか絵になる雰囲気があります。
大学生時代
津山高校を卒業した稲葉浩志さんは、横浜国立大学教育学部に進学。

当時は数学の教師を目指していて、教育実習にも臨んでいました。
なぜ教師にならなかったのか?
教育実習で校長先生から「髪を切ったらどうか」と言われた稲葉浩志さん。
「どうにもなりません」と答えて実習を断念したそうです。
理由は長い頭髪。校長先生はハサミで髪を切るようなジェスチャーをしながら「なんとかなりませんかね」と、注意してきたといいます。
稲葉浩志さんは短髪にすることに抵抗はなかったそうですが、校長先生の物言いが気に食わなかったため、「どうにもなりません」と答え、教師になることをやめたと明かしています。
引用:grape
この頃から、教員よりも自分のスタイルを大事にしたいという思いが強まっていったのかもしれませんね。

一方で、大学生活の中で音楽活動もスタート。
軽音サークルや仲間とのバンド演奏を通して、人前で歌う楽しさを実感していきました。
当時はプロを目指していたわけではないが、ここで培った経験がのちに大きく花開いていく
B’z結成とデビュー
1988年、音楽スクールを通じて松本孝弘さんと出会い、B’zが誕生。

松本孝弘さんは当時、プロデューサーの長戸大幸さんを介して稲葉浩志さんを紹介されたと語られています。
いわば「お見合い」のような形での出会いが、B’zのスタートだった!
B’z結成のきっかけは、すでにヒットを飛ばしていた、小室哲哉率いるTM NETWORK(以下、TMN)のサポートメンバーをしていた松本孝弘が、自分のバンドを作ろうと一念発起したことにある。当時のプロデューサーだった長戸大幸を介し、“お見合い結婚のように”デビュー前の稲葉浩志を紹介されたのがスタートだ。
引用:週刊女性 PRIME
そこからの歩みは驚くほど早く、わずか4か月ほどでデビュー。
『だからその手を離して』とアルバム『B’z』をリリースしました。

まだ小さなライブ会場が中心。
しかし、ロックとポップを融合させた新しいサウンドは次第に注目を集めていきました。
20代前半は、教師志望から音楽へと進路を切り替え、B’zとしての第一歩を踏み出した転機の時期だった
2.20代後半:国民的ロックアーティストへと駆け上がる
こちらは「B’z LIVE-GYM TOUR 1990 “BREAK THROUGH”」のステージでの稲葉浩志さんです。

当時26歳の稲葉浩志さん。
赤系の衣装や大きく流した髪型がステージの照明に映えて、とても華やかな印象を与えています。
派手な衣装に負けない存在感を放ち、観客を引き込むオーラが際立っていますね。
初の大ヒットとブレイクスルー
デビューからしばらくは地道な活動が続いていたB’z。
1990年にリリースしたシングル『太陽のKomachi Angel』が大きな転機となりました。

オリコンチャートで自身初の1位を獲得し、一気に世間の注目を集めます。
この曲はキャッチーなメロディと、稲葉浩志さんの伸びやかな高音が話題を呼ぶことに。
ファン層を一気に拡大させました。
その勢いのまま、1991年のアルバム『IN THE LIFE』はミリオンセラーを記録。

当時まだ20代の稲葉浩志さんが放つ存在感は圧倒的でした。
若い世代を中心に「ロックなのにポップで聴きやすい」と支持が広がっていった!
1992年にはシングル『ALONE』が発売。

こちらもミリオンヒットを達成。
情感あふれる歌声とドラマティックな楽曲展開で、多くのファンの心をつかみました。
コンサートでもこの曲を歌い上げる稲葉さんの姿は圧巻!

観客を惹き込むパフォーマンス力の高さを見せつけました。
国民的アーティストへの躍進
ここからB’zは「一発ヒットの新人」ではなく、「安定してヒットを生み出す存在」へと成長します。
1993年のアルバム『RUN』は200万枚を超える大ヒット。

これを引っ提げて行われた「 LIVE-GYM ’93 “RUN” ツアー」は、全国を縦断する長期スケジュール。
数日おきに移動と公演を繰り返すタイトな日々だったそうです。

炎や照明を駆使した派手なステージ演出、観客とのコール&レスポンスなど。
ただ歌うだけではなく“観せる力”が求められた時期でもあった
そんな環境の中でも、全力で走り回り声を張り上げて観客の熱気に応え続けた稲葉浩志さん。

その姿勢が「ライブでこそ真価を発揮するB’z」という評価を決定づけました。
そして1994年、ベストアルバム『B’z The Best “Pleasure”』が累計500万枚以上を売り上げ。

これにより、B’zは誰もが知る「国民的ロックユニット」としての地位を完全に固めたのです。
20代後半は、国民的アーティストへの階段を一気に駆け上がった時期だった
3.30代:ソロで磨いた歌声と家庭人としての素顔
こちらは1999年のカレンダーに収められた稲葉浩志さんの写真です。

当時35歳の稲葉浩志さん。
表情からは、キャリアを重ねた余裕と存在感を漂わせていますね。
20代の頃の派手さや長めのスタイルから一転して、落ち着いた大人の雰囲気を感じさせる髪型です。
ソロへの挑戦と歌声の成熟
30代に入った稲葉浩志さんは、B’zの活動と並行してソロアーティストとして活動を始めます。
1997年には初のソロアルバム『マグマ』をリリース。

「B’zの稲葉」とは違う魅力を示した!
B’zではあまり見せることのなかった内面的で繊細な表現を前面に押し出し、大きな注目を集めました。
突き抜けるような高音が持ち味だった稲葉浩志さん。
30代に入ると低音域や中音域に深みが増し、より幅広い表現ができるようになりました。

1999年のソロアルバム『遠くまで』では、勢いと繊細さを兼ね備えた歌唱を披露。

アーティストとしての成熟を印象づけています。
その成長はステージにも表れていた!
トレーニングで鍛えた体で、ライブでは走り回りながらも安定した歌唱を続け、観客を圧倒。
まさに「歌って、動いて、魅せる」稲葉スタイルが確立された時期でした。

GLAYのTERUさんとの対談では、「筋肉がすごい」と話題を振られた際に、「怪我をしないように、だけを意識している」と返答。

近くで見て稲葉さんの筋肉が凄くて驚きました。普段どんなことを意識してトレーニングされているんですか?



いや、もうとにかく怪我しないようにってだけですね。
音楽活動を続けるための体作りを心がけていることが伝わり、実直さを感じさせるエピソードですね。
プライベートの変化と家庭人としての姿
音楽活動の第一線に立ち続ける一方で、プライベートにも大きな変化を迎えました。
1997年に一般女性と結婚。


お相手は芸能人ではなく一般の方ですが、実は稲葉さんとは対照的なタイプだと報じられています。
「奥さんは、寡黙な稲葉さんとは正反対で、東京の下町生まれのチャキチャキした女性です。ふたりでいると、奥さんが会話をリードすることもしばしば。“スターの妻”という気取ったところもまったくありません。稲葉さんは聞き上手で、派手なことは嫌いますから、相性がよくて、ほんとに仲のいい夫婦ですよ」
引用:NEWSポストセブン
ライブでは圧倒的に熱く輝く一方で、普段は寡黙といわれる稲葉浩志さん。
華やかなステージとは違う、家庭での穏やかな稲葉浩志の姿が浮かび上がる
また、この頃は趣味のサーフィンやフィットネスに没頭していたことも広く知られています。


こうしたライフスタイルは、音楽活動を支える体力維持にも役立っていました。
同時に、精神的なリフレッシュにもつながっていたようです。
30代は、ソロで表現の幅を広げつつ、家庭を築いて人間的にも成熟していった時期だった
4.40代:海外での飛躍とソロでの探求
こちらは、2010年に雑誌『GQ JAPAN』に掲載された稲葉浩志さんの写真です。


当時46歳の稲葉浩志さん。
年齢を重ねたことで輪郭が引き締まり、目元や口元からは落ち着いた大人の余裕が感じられます。
軽い動きがついていて柔らかい印象を与えつつ、ラフすぎず洗練された雰囲気を保っています。
落ち着いたヘアカラーも、当時の大人のスタイルにぴったり合っていますね。
海外挑戦と世界的評価
40代に入った稲葉浩志さんは、国内の頂点に立ちながらも、新たに海外挑戦へと歩みを進めました。
2003年にはB’zとして初の北米ツアーを実施。


ロサンゼルスやサンフランシスコなど7都市を巡る公演を成功させます。
ロサンゼルス公演では6000席ほどの会場をほぼ完売した!
言葉の壁や市場の違いに挑みながら、日本のロックが世界でも通用することを証明しました。
そして2007年、B’zはアジアのアーティストとして初めてHollywood’s RockWalk殿堂入りを果たします。


ジミ・ヘンドリックスやKISSといった世界的アーティストと肩を並べて名を刻む、まさに快挙でした。
稲葉浩志さんの歌声と存在感が国際的に評価された瞬間でもありました。
ソロ活動と新しい表現
B’zの活動と並行して、稲葉浩志さんはソロアーティストとしての探求を続けていました。
2004年に発表したアルバム『Peace Of Mind』は、ソロ名義では2枚目となる作品。


ハードロック色の強いB’zとは違い、より穏やかで柔らかなサウンドが印象的です。
ファンからは「稲葉さんの内面や柔らかい部分が出ている」として支持されました。
この時期のソロ曲は、日常の小さな感情や心の揺らぎを丁寧に描いた歌詞が目立つ
例えば『AKATSUKI』や『I AM YOUR BABY』などは、心の内を映し出しながらも、どこか温もりを感じさせる曲。


B’zではなかなか聴けない、稲葉浩志さんのパーソナルな世界観を映し出しています。
ソロではライブの演出もシンプルにし、歌と向き合う姿勢を前面に押し出しました。


マイク1本で観客とじっくり向き合う姿は、アーティストとしての幅広さを印象づけました。
40代は、海外挑戦で世界的評価を得る一方、ソロ活動で内面的な表現を深め、円熟味を増した時期だった
5.50代〜現在:試練を超えて、挑戦を続ける
こちらの写真は、稲葉浩志さんが YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」に出演した際のものです。


当時59歳頃の稲葉浩志さん。
顔立ちには年齢を重ねた落ち着きが表れていて、若い頃の鋭さとは違う渋みが印象的です。
少し老けて見えることもありますが、それがむしろ大人の余裕や存在感につながっています。
カラーを隠さず自然体で見せているところに、年齢を重ねたアーティストらしい潔さが感じられます。
2018年ツアーでの試練
2018年、B’zはデビュー30周年を記念する全国ツアーを開催していました。


節目の年だけに多くのファンが期待を寄せていました。
インタビューで本人が語ったところによると、このツアー中に喘息を発症。
特に9月は1か月近く呼吸が苦しい状態が続き、歌うことすら思うようにできなかったそうです。
稲葉浩志:あれは声の調子が悪かったのではなくて、実はその、喘息を発症していました。9月はまるまる発症したままだったので、あんな感じでした。呼吸が苦しいので、声を出すこと…歌をうたうことがままならないんです。
引用:BARKS


根本的に呼吸が制限されるため、歌唱だけでなくステージ上の動きにも大きな負担となりました。
それでも稲葉浩志は公演をキャンセルせず、観客の前に立ち続けた!
苦しそうな表情を見せることはあっても、全力で歌いきる姿は観客に強い感動を与えたのです。
稲葉浩志というアーティストの揺るぎないプロ意識と責任感を感じさせますね。
止まらない挑戦と新たな試み
50代に入っても、稲葉浩志さんは立ち止まることなく挑戦を続けています。
2016年にはアメリカのギタリスト・スティーヴィー・サラスとユニットINABA/SALASを結成。


翌年にはアルバム『CHUBBY GROOVE』をリリースしました。


ファンクやブルースを取り入れたサウンドは新鮮で、ツアーも盛況を収めました。
一方で、B’zは結成35周年を迎えます。
これを記念して全国ツアー『B’z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-』を開催


このツアーは5年ぶりの “Pleasure” ブランド復活となり、全国28公演を行う大規模なものに。
このツアーで披露されたのは、過去の名曲と新曲を組み合わせたベスト選曲
ファンが愛してきたヒット曲を、現在のステージ形態で再構築する演出が多く見られました。
熱狂の中で松本さんと稲葉さんが抱き合うシーンも報じられ、感動のフィナーレになったと言われています。


稲葉浩志は、喘息の試練を乗り越えつつ挑戦を続け、現在も進化した姿を示し続けている
稲葉浩志の昔の写真と現在を比較


昔から整った顔立ちと色気で注目を集めてきた稲葉浩志さん。
では、現在の写真と並べて印象の変化を見ていきましょう。
- 顔の変化
- 髪型の変化
顔の変化


20代の頃はシャープな輪郭と透き通るような肌で、爽やかさが際立っています。
若さ特有のあどけなさも少し残しながら、整った目鼻立ちが目を引きます。
端正さは変わらず、重厚感のある印象へと変化!
現在は目元や口元に年齢を重ねた深みが表れていますが、顔立ちの端正さは変わっていません。
若い頃の鋭さよりも、渋みや存在感が前面に出ていて、重厚感のある印象へと変化しています。
髪型の変化


20代は前髪をセンターに分けたシンプルなスタイル。
程よい長さで、清潔感と爽やかさを感じさせます。
現在は肩にかかるほどのミディアムヘアに白髪が混じり、自然体のスタイルへ。
グレーヘアが加わることで、大人の色気と風格がより強調されています。
若い頃の爽やかさから渋みへと変化しつつも、端正な顔立ちは変わらず魅力を放ち続けている!
稲葉浩志の若い頃まとめ
今回は、稲葉浩志さんの若い頃について調べました。
- 若い頃の髪型がイケメン
- 1988年、松本孝弘と出会いB’zが誕生した
- 『太陽のKomachi Angel』で初のオリコンチャート1位を獲得した
- 30代からはソロアーティストとしても活動している
- 40代には海外へも挑戦している
- B’zは「Hollywood’s RockWalk殿堂入り」を果たした
- 今も活動と新しい挑戦を続けている
- 歳を重ねることで、大人の風格が強調された
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