新浜レオンの若い頃の夢は野球選手だった!昔の写真と現在を画像比較

2019年にデビューし、歌謡界の注目を集め続けている新浜レオンさん。

爽やかな笑顔とまっすぐな歌声、そして人柄がにじむパフォーマンスで「次世代のスター」として高い支持を得ています。

そんな新浜レオンさんですが、「若い頃の夢はプロ野球選手だった?」という話題が広がっているんです。

そこで今回は、昔の写真と現在の雰囲気を比較しながら、彼がどのように夢を追いかけ、歌手としての道へ進んだのか、その歩みをたどっていきましょう!

目次

新山レオンのwikiプロフィール

  • 名 前 :新浜レオン(にいはま れおん)
  • 本 名 :高城 勇貴(たかじょう ゆうき)
  • 生年月日:1996年5月11日
  • 年 齢 :29歳(2025年12月現在)
  • 出身地 :千葉県白井市
  • 職 業 :演歌歌手、俳優

新浜レオンさんは、千葉県白井市出身の29歳です。

「ミスター大東コンテスト2017」でグランプリを獲得

大東文化大学在学中に『青春時代』(森田公一・トップギャラン)を歌って「ミスター大東コンテスト」でグランプリを獲得しました。

この経験が音楽への道を強く意識させ、若い世代にも歌謡曲の魅力を伝えたいという思いを抱くようになったそう。

大学4年生のとき、自らデモテープを音楽レーベル各社に持ち込む

演歌・歌謡・ポップスを混ぜたデモ音源を提出し、高く評価された新浜レオンさん。

デビュー前には10キロの減量も行い、プロへの覚悟を示したと言われています。

現在も歌手として活躍しています。

新浜レオンの若い頃の夢は野球選手だった?

今では若手演歌歌手として注目を集めている新浜レオンさん。

かつてはプロ野球選手を夢見て日々練習に励んでいたそうです。

そんな新浜レオンさんについて、ネット上でも「演歌歌手になる前の夢はプロ野球選手だった?」と話題になっています。

幼少期から野球少年でプロ野球選手を目指していた

華やかなステージでの活躍だけでなく、意外な一面を持つ彼の経歴に驚く人も多いのではないでしょうか。

その知られざる過去を2つのポイントに分けて見ていきましょう!

  • 野球とともに歩んだ日々
  • 野球から離れた理由

野球とともに歩んだ日々

こちらの写真は高校時代の新浜レオンさんです。

小・中・高校と野球に熱中していた新浜レオンさん。

インタビューで野球を始めたきっかけを明かしていました。

「始めたきっかけは、少年団の体験入部に行った時のことです。そこで生まれて初めてバッターボックスに立ったんですが、なんか簡単にライト前にヒットを打つことができたんです!」

引用:FINE BOYS

高校時代はキャッチャーとしてチームを牽引し、キャプテンも務めていたそうです。

県大会ベスト4が最高成績で甲子園には届かず

甲子園出場を目指すほど真剣にプレーしていた新浜レオンさん。

最高成績は千葉県大会でベスト4で、甲子園には届かなかったそう。

本当に野球のことばかり考えているような子供でした。当然、自分もプロ野球選手になるつもりでしたし。小中高とキャプテンをやらせていただき、千葉英和高校でも甲子園を目指したんですけど、最高でも県大会でベスト4。非常に悔しい思いをした末に、歌手を志すことになりました。

引用:音楽ナタリー

インタビューの内容からどれだけ野球に夢中だったかがわかりますね。

野球から離れた理由

高校3年生の夏の地方大会で敗退し、プロへの道がかなり厳しいと感じたそう。

野球一本で生きていくよりも、自分の中に昔からあった「歌手になりたい」という想いが強くなった

幼い頃から車の中でも演歌・歌謡曲が流れる環境で育った新浜レオンさん。

こちらの写真は、新浜レオンさんの父でもあり演歌歌手でもある高城靖雄さんです。

音楽は身近で、彼にとって歌は特別なものだった

高城靖雄さんと聞いてもピンと来ない方もいると思いますが、『は・か・た・の・し・お!』でお馴染みのあの声の持ち主です。

自分のこれからの生き方を考える中で、「歌一筋で育ててくれた父の仕事はどういうものなのか」と興味を覚え、高3の夏休みには坊主頭のまま、父親のカバン持ちを始めたという。

引用:オリコンニュース

まずは父・靖雄さんのカバン持ちから始めたと話してます。

野球選手の夢は諦めた新浜レオンさんですが、父の背中を見て夢が歌手へと変化していきました。

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新浜レオンの若い頃~現在まで

プロ野球選手を夢見た新浜レオンさんは、その夢を離れ、もう一つの情熱だった“歌”へと進みました。

いまは若手演歌歌手として輝きを増しています。

その歩みを、一緒にたどっていきましょう。

  1. 幼少期:家族でCM出演
  2. 大学時代:野球少年から“歌の人”へ。運命が動き出した青春期
  3. 20代前半:令和初日の華々しい船出。新人賞へまっすぐ駆け上がる
  4. 20代後半:演歌・歌謡の“アップデート”。若い世代を惹きつける存在へ

1.幼少期:家族でCM出演

当時、4歳ごろの新浜レオンさんです。

白菜がとても大きく見えますね!

現在の面影もありつつ可愛らしい

かつて『伯方の塩』のテレビCMイメージキャラクターを務めた髙城靖雄 さん(新浜レオンさんの父)。

「は・か・た・の・しお♪」の歌声で知られていました。

父・髙城さんと“家族篇”として伯方の塩のCMに出演

とても温かい雰囲気のCMでした。

新浜は「小さいころは家の中が塩だらけでした。今度はお酢だらけにして、父親を超えていきたいです!」と声をはずませた。

引用元:中日スポーツ

「日本自然発酵アンバサダー就任会見」でのインタビューでは、こんなコメントをしていた新浜レオンさん。

父親を超えていきたい」この言葉にも、強い意志を感じますね!

2.大学時代:野球少年から“歌の人”へ。運命が動き出した青春期

新浜レオンさんは、大東文化大学に進学しました。

「ミスター大東コンテスト」グランプリを受賞

学園祭イベントで出場した 「ミスター大東コンテスト」でグランプリを受賞。

ここで披露した『青春時代』(森田公一とトップギャラン)で会場を沸かせました。

この受賞が彼の中に眠っていた「歌をもっと届けたい」「歌謡曲を若い世代にも広めたい」という気持ちに火をつける

歌手を目指して下積みの活動も行っていた新浜レオンさん。

さらに、プロを目指して自らデモテープをレーベルに持ち込んだのも大学生の頃です。

忙しくも充実した学生生活を送っていたようですね!

努力と行動力がはっきりと表れた、大きな転換期だったと言える

2.20代前半:令和初日の華々しい船出。新人賞へまっすぐ駆け上がる

写真は、新浜レオンさん(23歳)のデビュー曲『離さない 離さない』です。

大学卒業後、プロデビューを見据えてボイストレーニングに本格的に取り組むようになります。

デビュー前には、体重を10kg落とすストイックな準備も行い、プロの歌手として舞台に立つ覚悟が整っていった時期です。

そして、ついにその日が訪れます。

2019年5月1日(令和初日)1stシングル『離さない 離さない』でメジャーデビュー

オリコンのウィークリーランキング演歌/歌謡部門で1位を獲得

まさに新しい時代の幕開けとともに誕生した新星。

デビュー直後からテレビ・ラジオへの出演が続きました。

日本レコード大賞 新人賞を受賞

こちらの写真は「日本レコード大賞」新人賞を受賞したときのものです。

プロとしての実感、そして周囲からの期待が一気に高まる時期だったこの頃。

幼少期から野球一筋の人生を歩んできたという新浜は「野球しかなかった僕がこういうステージに立てるのは、家族やスタッフのみなさんに支えていただいているからこそ。(お世話になった人に)絶対に恩返ししたいです」と同イベントを振り返る

引用:Real Sound

新浜レオンさん自身も「恩返しができる歌手になりたい」という強い想いを語っています。

大本山成田山新勝寺にて『離さない 離さない』ヒット祈願歌唱イベントを開催した時のインタビューと写真です。

3.20代後半:演歌・歌謡の“アップデート”。若い世代を惹きつける存在へ

20代後半に入ると、新浜レオンさんの活動はさらに広がっていきます。

写真は、『捕まえて、今夜。』の新浜レオンさん(27歳)です。

2023年にリリースされた「捕まえて、今夜。」は、TikTokを中心に人気が爆発しました。

動画再生は1億回を超える勢いに

写真のようにとくに曲のサビの振付がマネしやすく、演歌・歌謡曲の世界では珍しい“SNS発のバズ”でした。

従来の演歌ファンだけでなく若い層にも知名度が一気に広がりました。

2023年ドラマ『下剋上球児』に出演し、俳優デビュー

こちらの写真は、『下剋上球児』に出演した新浜レオンさん(27歳)です。

演じたのは、野球部員らが通う地元のバッティングセンターの店員。

劇中ではさすが元高校球児という身のこなしと、野次を飛ばすシーンのリアルさでも存在感を発揮

SNSでも盛り上がり、放送直後にトレンド入りを果たしました

2024年には、木梨憲武さんが総合プロデュースし、所ジョージさんが作詞・作曲した「全てあげよう」を発表。

異ジャンルとのコラボが続き、音楽的な幅が一段と広がりました!

写真は、『全てあげよう』の新浜レオンさん(28歳)です。

インタビューで楽曲の誕生秘話をこのように語っています。

木梨さんがパーソナリティーを務める「土曜朝6時 木梨の会。」というラジオ番組に出演させていただきました。同じ回に所さんも出演されていたのですが、生放送中に木梨さんが、所さんに「レオンくんに、西城秀樹さん風の曲を作ってよ〜」とおっしゃって。

引用:うたびと

所ジョージさんの何気ない一言が、このコラボを叶えたようです。

第75回 NHK紅白歌合戦(2024年12月31日) にて、新浜レオンさんが初出場を果たしました。

写真は、新浜レオンさん、木梨憲武さん、所ジョ-ジさんが囲み取材に応じた時のものです。

記者会見で、デビュー6年目にして紅白出場を「長年の夢だった」と語り、これまで支えてくれたスタッフ、ファン、木梨憲武さん、所ジョージさんに感謝」と意気込みを表明

紅白歌合戦は僕にとって、デビュー丸5年、6年目という月日の中で『出場したい』という言葉を言わない日はないというくらい、紅白歌合戦に出るということが僕の生きる目標と言っても過言ではないくらい目標にしていた夢のステージです

引用:マイナビニュース

2024年の紅白初出場以降ライブ活動も精力的に行いました。

2025年も 2年連続の紅白出場 が決定しました!

表情、所作、声の伸び、歌の深さなど、「20代でここまで完成されている歌手は珍しい」と評価されるように。

20代後半の新浜レオンさんは、“演歌をアップデートしながら新時代へ持ち込む存在”として確かな地位を築いた時期と言えるでしょう。

  • 夢を追いかけ、挫折を経験し、それでもあきらめずに光をつかんだ
  • 野球少年の純粋な情熱と、父から受け継いだ演歌への愛が息づいている

新浜レオンの若い頃と現在を比較

高校球児時代は、素朴で真っ直ぐなスポーツ青年だった新浜レオンさん。

では、現在の写真と並べて印象の変化を見ていきましょう。

高校球児の新浜レオンさんは、坊主頭がトレードマーク。

日焼けした健康的な肌、トレーニングで鍛えられたがっしりした体つきが印象的です。

一方、現在は前髪を下ろした爽やかヘア、時期により軽いパーマも。

高校時代と比べると肌は明るめで、全体が垢抜けた雰囲気がある

顔つきはよりシャープになり、あどけなさ大人の色気 へと変化しました。

洗練された歌手のスタイルに進化

デビューに向けて10kg近く体重を落としたこともあり、高校時代の「がっちり」よりも「スリムでスマート」な印象が強いです。

爽やかさと色気が共存する令和歌謡スターへと変化していきました。

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新浜レオンの若い頃まとめ

今回は、新浜レオンさんの若い頃について調べました。

  • 幼い頃から野球をがむしゃらにやっていた野球少年。
  • 甲子園を目指すほど真剣だったが、高校時代に挫折
  • 父が演歌歌手という環境で育ち、音楽には昔から触れていた
  • 大東文化大学在学中にミスターコンテストでグランプリを取り、歌の道へ舵を切る
  • デビュー前には肉体改造も行い、強い覚悟で挑戦
  • 令和初日のデビューから新人賞を獲得、そしてSNSを通じて若い世代にも広く支持される歌手へ
  • デビュー後はテレビ・ラジオ・イベント出演が増え、バラエティでも明るいキャラクターが親しまれるように
  • ライブ活動にも力を入れ、演歌の枠を超えた“魅せるステージ”を武器にファン層を拡大
  • 2024年、『第75回NHK紅白歌合戦』に初出場し、若手実力派として大きな飛躍を遂げた
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