奥田瑛二の若い頃がイケメン!昔の写真と現在を画像比較

奥田瑛二さんは、二枚目俳優として多くの作品に出演され、数々の賞を受賞されています。

俳優業以外にも映画監督として国際的な評価を受けるなど、多彩な才能を発揮し話題になりました。

家族も芸能・芸術界で活躍されていることも有名ですよね!

そんな、奥田瑛二さんの若い頃がイケメン!と言われていることをご存知でしょうか?

そこで今回は、奥田瑛二さんの昔の写真と現在を比較しながら、イケメンと言われる理由を検証していきましょう。

また、デビューから現在までの経歴についても、振り返っていきます!

目次

奥田瑛二のwikiプロフィール

  • 名 前 :奥田 瑛二(おくだ えいじ)
  • 本 名 :安藤 豊明(あんどう よしあき)
  • 生年月日:1950年3月18日
  • 年 齢 :76歳(2026年6月現在)
  • 出身地 :愛知県春日井郡高蔵寺町(現:春日井市)
  • 主な肩書:俳優•声優•ナレーター•映画監督•画家

奥田瑛二さんは、愛知県春日井郡高蔵寺町(現:春日井市)出身の76歳です。

大学入学とともに議員秘書になるが、改めて役者になることを志願し、モデルやCMに出演していました。

1976年「円盤戦争バンキッド」で主演としてデビュー

当時のマネージャーの協力を経てテレビドラマに本格的に主演としてデビューしました。

その後、役に恵まれずホームレス生活を送ることもあったそうです。

以降、実力を認められてからは多くの女性ファンを獲得しました。

1979年エッセイストの安藤和津さんと結婚!

2人の娘にも恵まれました。

長女の安藤桃子さんは映画監督、次女の安藤サクラさんは女優として活動するまさに芸能一家なんです!

現在も、第一線の俳優として数々の映画やドラマに出演されるだけではなく、映画監督しても活躍する等、多方面で才能を発揮中です!

奥田瑛二の若い頃がイケメン!

若い頃の奥田瑛二さんは、色気が溢れており、世の中の女性たちを虜にしていました。

スタイルも抜群で、単なる「爽やかイケメン」ではなく、唯一無二の「プレイボーイ」として人気を得ました。

若い頃のイケメンぶりはSNSでも話題になっています。

ここからは、奥田瑛二さんの「若い頃がイケメン!」と言われる理由を3つのポイントと共に見ていきましょう。

  1. 危険な香りが漂う色気
  2. クールな表情
  3. スーツを完璧に着こなすスタイル

1.危険な香りが漂う色気

奥田瑛二さんの若い頃がイケメン!と言われる1つ目の理由は「危険な雰囲気がある色気」です。

1980年代のトレンディドラマでは「浮気性だけどどこか憎めない男」や「影のある男」をよく演じていました。

理性を狂わせるような色気を放つ

捉えようのないミステリアスな雰囲気が女性たちを虜にしていました。

まさに現代で言うなら「沼る」という言葉が当てはまりますね!

「傷ついてもいいから追いかけたい」と思わせる影こそ奥田瑛二さんが放っていた「危険な色気」です。

2. クールな表情

奥田瑛二さんの若い頃がイケメン!と言われる2つ目の理由は、感情を一切出さない「クールな表情」です。

世の中を冷めた目で見つめている男の哀愁

奥田瑛二さんのクールな表情は眉毛1つ動かさない無表情さがまさに真骨頂と言えます。

ドラマで見せた、女性を翻弄する冷ややかな視線、熱く迫るのではなく「冷たく突き放す表情」が、女性の「離したくない」という独占欲を刺激し、究極のクールさを証明していました。

ニヒルなほほ笑み

無表情から、少しだけ口元を片方だけあげ「冷ややかなフッという自嘲気味な笑み」は絶品と言われていました。

そして、高い鼻筋と、シャープなフェイスラインが特徴的ですね!

絵画のような美しさ

タバコを吸っている姿や斜め下を見下ろすアングルが美しく、まさに完璧な「クールビューティー」です!

3. スーツを完璧に着こなすスタイル

奥田瑛二さんの若い頃がイケメン!と言われる3つ目の理由は、モデル出身の「圧倒的なスタイル」です。

スーツは奥田瑛二さんの最強の武器

身長175㎝で、当時の日本人男性から見ると高身長で、手足のバランスが抜群でした。

奥田瑛二さんのスーツスタイルは、危険な色気とクールな表情を完成させるにはなくてはならない物でした。

以上、奥田瑛二さんの若い頃がイケメン!と言われる3つの理由でした!

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奥田瑛二の若い頃~現在まで

若い頃の奥田瑛二さんの役柄は、今で言う「ダメンズ」でしたが、持ち前のルックスと、あふれんばかりの色気と、クールさがどこか私だけのものになって欲しいという、当時の女性陣の心をうまくつかんでいたんですね!

それでは、ここからは奥田瑛二さんの若い頃から現在までの経歴を振り返っていきます!

  1. 20代~30代:波乱万丈下積みを経て大ブレイク!
  2. 40代:映画俳優としての頂点へ立ち大きな葛藤
  3. 50代:映画監督への転身
  4. 60代:俳優業への復活、新境地開拓
  5. 70代~現在:圧倒的な演技力と重厚な存在感

1.20代~30代:波乱万丈下積みを経て大ブレイク!

20代の頃の奥田瑛二さんです。

奥田瑛二さんの20代は、長い下積み時代と言えます。

国会議員になると家族を説得して上京

父親が市議会議員だったため長男である奥田瑛二さんに後を継がせるため、役者になることは反対していたそうです。

「映画俳優になりたいと思って、17歳の時に親にどう言ったら、名古屋から東京の大学に行けるかって」と続けると、「親父は市会議員をやっていたんですけど、『お父さん、これから政治をやるにしても中央で見聞を広げ、勉学にいそしみ、帰ってきたら市会議員になって、35歳で県会議員になって、45歳で代議士になると。ぜひとも東京の大学に行かせて下さい』と」と父親に言った言葉を再現してみせた。

引用元:スポーツ報知

東京で役者になる為まさに「人生最大の大嘘」をつき上京しました。

大学に通いながら議員の秘書になりました。

秘書を夜逃げ、役者の道へ

ちょい役などで少しずつテレビに映り始めます。

26歳の時に「円盤戦争バンキッド」で初主演を努めました。

終了後は仕事が激減

仕事が激減した奥田瑛二さんは家賃を支払えず、代々木公園でホームレス生活をしていたそうです。

ホームレス生活は3か月にも及んだそうです。

下積み時代は10年あったと語り「18歳から10年。29歳でホームレスになってたんで…」とポツリ。奥田は約3ヶ月ほど代々木公園でホームレス生活を送っていたといい、同じく代々木公園でホームレス生活を過去に行っていたという兼近が反応すると奥田は「俺が、代々木公園のホームレス、多分、第1号だった。当時はホームレスいなかったから」

引用元:オリコンニュース

そんなホームレス生活も終わりを告げます。

後に結婚する妻・安藤和津さんとの運命的な出会いを果たし、紹介で友人の家に居候させてもらえることになりました。

居候中も安藤和津さんのサポートがあり、生活が安定しました。

29歳の時に「もっとしなやかにもっとしたたかに」で見事主役に大抜擢されました。

「これがダメなら役者をやめて田舎へ帰る」と一世一代の覚悟を決める

面接でホームレスをしていたことなどすべてをさらけ出し、ハングリー精神、やる気が認められました。

この映画がヒットし、「役者・奥田瑛二」の名が世界に本格的に認められました。

映画がヒットした同年に、献身的に生活を支えてくれていた安藤和津さんと結婚しました。

人生最低辺のホームレス生活からわずか1年足らずの脱却

20代最後は、公私共に安定した年となりました。

30代を迎えた奥田瑛二さんは、トレンディドラマに出演し一世風靡し大ブレイクを果たします。

私生活でも、32歳ので長女の安藤桃子さん、35歳の時に次女の安藤サクラさんが生まれました。

35歳の時に大ヒットドラマ「金曜日の妻たちへⅢ恋におちて」に出演しました。

色気のある美しい顔立ちで、多くの女性を魅了していました。

翌年、放送された明石家さんまさん主演の伝説的ドラマ「男女7人物語」に出演します。

お調子者のプレイボーイ役を演じ人気が不動のものとなりました。

30代後半のこの頃になると、本来の目標であった「映画俳優」に本腰を入れるべく、ブームの座を降りました。

「降りたというより、逃げたんです。人気者という世界からね。このままではただの人気者で終わる。自分が目指していたのは、あの小5のときに抱いたあこがれは、映画俳優だった。それなのにテレビの人気者になって、浮ついている。自問自答を繰り返して、映画に本腰を入れると決めたんです。

引用元:newsポストセブン

映画界へ復帰し、本格派演技派俳優としての土台を築き上げました。

2.40代:映画俳優としての頂点へ立ち大きな葛藤

40代の奥田瑛二さんは活躍舞台を「映画界」へと移し「日本を代表する名優」へと上り詰めました。

トレンディドラマ俳優からの脱却、実力・演技派俳優への進化

数多くの主演男優賞を受賞し、まさにキャリアの頂点を極めていきます。

44歳の時に映画「棒の哀しみ」に主演し、圧倒的な演技で大きな話題になりました。

歴史的快挙を果たす

この映画での演技が認められ、国内最多となる合計8つの主演男優賞を受賞しました。

他にもNHKのドラマ等にも出演されました。

物語のキーパーソンという重要な役どころで出演する機会が増えました。

「映画俳優になる夢が叶ってしまった」

「俳優・奥田瑛二」を続ける理由がなくなってしまったと思ったそうです。

「せんえつながら賞をたくさんもらった映画があって、夢かなったなと思っちゃった」と話した。36歳で初の映画単独主演となった「海と毒薬」(1986年、熊井啓監督)が銀熊賞・審査員特別賞を受賞するなど出世作に。杏の父で俳優渡辺謙(64)とも共演した。この出演をへて「じゃ、何したらいいんだ。『俳優奥田瑛二』を続ける理由がなくなっちゃった、と」と思ったという。

引用元:日刊スポーツ

まさに奥田瑛二さんの40代は、国内最高峰の賞を受賞し、後の映画監督転身へと繋がっていく10年となりました。

3.50代:映画監督への転身

50代の頃の奥田瑛二さんは、俳優業も続けつつ、映画監督としての活動も開始します。

俳優の仕事も継続しながら「映画監督」としての才能が一気に開花しました。

映画製作会社「ゼロ・ピクチュアズ」設立

奥田瑛二さん自ら出資や借金をして、映画製作の基盤をたちげました。

51歳の時に「少女~an adolescant」で初監督デビューをしました。

ベネチア国際映画祭での大反響を機に、パリ映画祭やAFI映画祭でグランプリを受賞、華麗な映画監督デビューを果たしました。

50代半ばで、映画監督として頂点を極めます。

邦画史上初となる三冠を達成

56歳の時の監督3作目「長い散歩」で、名優・緒形拳さんを主演に迎えました。

この作品で世界4大映画祭の一つであるモントリオール世界映画祭でグランプリを受賞!

さらに、「国際批判家評価連盟賞」・「エキュメニカル審査員賞」も独占し偉業を達成しました。

奥田は「他の世界では仕事、できないから。映画界にいるにはなんだ…そしたら、瞬間的に監督だ、と思って。50歳で監督をすると思った」と話した。50歳となった2001年に監督デビューし、3作目の「長い散歩」で俳優緒形拳(故人)を主役に迎えてモントリオール世界映画祭でグランプリを獲得した。

引用元:日刊スポーツ

俳優としても、作品の格をあげる「圧倒的存在感を放つ脇役」として数々の作品に出演していました。

51歳の時にNHK大河ドラマ「北条時宗」に出演し、凄みのある演技力で多くの視聴者の支持を得ます。

50代は、俳優としての活動も続けつつ、自身の制作会社を率いて、数々の作品を世に送り出し、世界的な名声を獲得した10年間となりました。

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4.60代:俳優業への復活、新境地開拓

60代を迎えた奥田瑛二さん。

チーム奥田の総力戦

映画監督としてのキャリアを重ねつつ、俳優としても名バイプレーヤーとして出演していました。

63歳の時に「今日子と修一の場合」で東日本大震災を舞台にした人間ドラマを描きました。

この作品では、長女の安藤桃子さんが助監督や文学的サポートを努め、次女の安藤サクラさんと夫・柄本佑さんが主演を務め、妻の安藤和津さんががスーパーバイザーとなり大きな話題となりました。

まさに「チーム・奥田(家族)」の総力戦で作り上げた監督作品となっています!

65歳の時に、映画「赤い玉」で主演を努めました。

死ぬまでオスでいたい。枯れることもなく。俳優も監督も枯れたら終わり

この作品では、奥田瑛二さんの若い頃の特徴である「色気」がしっかり描かれている作品です。

 若者の草食化を嘆く奥田は「俺たちの世界がエロスを復活させないと、これからの若い世代はどうしようもない」と映画の意義を説明。「枯れることを拒絶した男が僕の理想。そうでないと俳優も監督もやってられない」と語った。

引用元:デイリースポーツ

この頃は、父親としての顔ものぞかせていました。

娘の安藤桃子さん、サクラさん達の才能が世界的にも爆発しました。

60代は映画監督としても活躍しつつ、日本映画界に無くてはならない俳優として存在感を確立した10年間です。

5.70代~現在:圧倒的な演技力と重厚な存在感

70代を迎えた奥田瑛二さんは役者として「認知症」や「社会派」の難役を演じ「枯れ」を追求していく美学へと移行していきます。

愛されるじいじへと進化を遂げる

作品の核を支える、重厚な役どころの出演が増えていきました。

70代に入り、表現者として「98歳まで生きる」と公言していましたが、「101歳まで生きる」へと変わってきます。

孫の一言で一念発起!

真剣な表情で「じいじ、お酒を控えて、タバコをやめて。長生きをして」と涙ながらに訴えられたそうです。

75年間、体調不良や入院の経験がなく、健康への感心もなかったが、「1年ぐらい前から心がけるようになった」という。

 きっかけは2人の孫の存在。奥田の健康を気にする孫から「じいじ、お酒控えて、たばこやめて。お酒は家にいたらビール1本と焼酎はロック2杯だけ」と懇願され、「真剣に言われるので守っています。孫のおかげで食生活もきちっと行って、酒の量も減り、たばこは、なんと昨日クリニック行ってニコチンパッチ。ヘビースモーカーだったのに…」。

引用元:スポニチ

現在の奥田瑛二さんは、俳優としても映画監督としても第一線で活躍しています。

今後も奥田瑛二さんや奥田ファミリーの活躍に大いに期待ですね!

奥田瑛二の昔の写真と現在を比較

ここまでは輝かしい経歴を紹介してきました。

哀愁漂う独特の空気感

俳優としても、映画監督としてもまさに「匠」の存在となっていますね!

若い頃の奥田瑛二さんは、長身で端正な顔立ちと色気を持った「圧倒的な二枚目俳優」でした。

洗練された容姿とは違い「放っておけない」と女性に思わせる、影を持ち母性本能をくすぐる魅力を持っていました。

一方、現在の奥田瑛二さんは若い頃の色気を持ちつつ、更に「圧倒的な渋み」と「ダンディ」が加わったまさに唯一無二の存在となっています。

若い頃の「甘く危うい男子」から「凄味と深みのある紳士」へと変化

今後、連続ドラマの出演が控えている奥田瑛二さん!とても楽しみです。

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奥田瑛二の若い頃まとめ

今回は、奥田英二さんの若い頃について振り返りました。

  • 20代~30代:壮絶な下積み時代から一転、トレンディドラマ俳優として大ブレイクを果たす
  • 40代:トレンディドラマ俳優を脱却、凄みのある映画俳優へとシフト、評価を得る
  • 50代:映画監督としてマルチな才能を発揮!数々の賞を受賞
  • 60代:極上の渋みと圧倒的な演技力で存在感を確立
  • 70代~現在:日本映画界を代表する名優・映画監督として第一線で活躍中!
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