八千草薫さんは、宝塚歌劇団の伝説的な娘役から始まり、映画・テレビドラマで70年以上活躍された日本を代表する名女優です。
生涯で、清純派ヒロインから不倫に揺れる主婦や可愛らしいおばあちゃん役まで幅広く演じました。
そんな八千草薫さんの若い頃がかわいい!と言われているのをご存知でしょうか?
そこで今回は、八千草薫さんの昔の写真と現在を比較しながら、検証していきます!
八千草薫のwikiプロフィール

- 名 前 :八千草薫(やちぐさかおる)
- 本 名 :谷口瞳(たにぐちひとみ) 旧姓→松田瞳(まつだひとみ)
- 生年月日:1931年1月6日
- 没年月日:2019年10月24日(享年88歳)
- 出身地 :大阪府
- 主な肩書:女優
八千草薫さんは大阪府出身で享年88歳でした。
1947年に宝塚音楽学校へ入学、同年34期生として宝塚歌劇団に入団しました。
1951年には東宝映画「愛と憎しみの彼方へ」で映画デビューを果たします。
1957年26歳で映画監督の谷口千吉さんと結婚!
2007年に、谷口千吉さんが亡くなるまで50年間連れ添った「おしどり夫婦」として有名でした。
死別を乗り越え、病と闘いながらも凛とした姿勢で周囲に気づかせないほど可憐で力強く生き抜きました。
八千草薫の若い頃がかわいい!

1947年に宝塚歌劇団に入団した八千草薫さん。
息をのむほど可憐でかわいいと戦後を代表する「清純派娘役」として絶大な人気を誇っていました。
圧倒的なおしとやかさと愛らしさから、この頃の男性たちのまさに憧れのマドンナ的存在だったそうです。
ここではそんな八千草薫さんの「若い頃がかわいい!」と言われる理由を3つのポイントにまとめました。
- 圧倒的な透明感と清純さを兼ね備えた「伝説級の娘役」
- どこかあどけなさの残る愛らしく儚い笑顔
- THE日本女性の「はんなり」さと親しみやすさ
1.圧倒的な透明感と清純さを兼ね備えた「伝説級の娘役」

八千草薫さんの若い頃がかわいい!と言われる1つ目の理由は伝説とも呼ばれた「究極の娘役」での魅力です。
タカラジェンヌという異世界での活躍をしつつも「理想の女性」として多くの支持を得ました。
宝塚在団中に出演した映画で世界進出し「東洋の宝石」と絶賛されました。

当時の宝塚は、「男役が主役、娘役は引き立て役」という構造がしっかりできていました。
八千草薫さんは、圧倒的な可憐さと清純さで男役の後ろに隠れない一人の大スターとして知られました。
男役も凌ぐほどの圧倒的人気を誇った
伝説ともいわれる人気こそ「若い頃がかわいい!」と言われる理由の1つ目です。
2. どこかあどけなさの残る愛らしく儚い笑顔

八千草薫さんの若い頃がかわいい!と言われる2つ目の理由はまさにこの「あどけなさの残る可愛らしい笑顔」です。
端正な顔立ちだが、ふとした瞬間に出る無邪気な懐っこい笑顔こそ最大の魅力と言われていました。
八千草薫さんの笑顔は「見る人すべてを幸せにする無邪気さ」と「品の良さ」が見事に調和されていました。

20代の頃の八千草薫さんは作られた大人の笑顔ではなく、少女のような純粋さと無邪気さがありました。
笑顔がトレードマークと言われていた
この素敵な笑顔こそ、若い頃がかわいい!と言われる2つ目の理由です。
3. THE日本女性の「はんなり」さと親しみやすさ

八千草薫さんの若い頃がかわいい!と言われる3つ目の理由はまさに日本女性!としてのこのはんなりさです。
大阪出身ということで関西独特の柔らかいイントネーションやおっとり感が残っていました。
控えめなのに、芯から華やかな佇まいがそこにいるだけで周囲を明るくする気品の持ち主でした。

若い頃の八千草薫さんは優雅で穏やかなテンポが他者を緊張させない包み込むような雰囲気を持っていました。
洗練されているけど親しみやすくて柔らかい空気感
この八千草薫さんを語るに大切な「はんなり」こそ若い頃がかわいい!と言われる3つ目の理由です。
以上、3つの理由こそ八千草薫さんの若い頃がかわいい!と言われるポイントでした!
八千草薫の若い頃~現在まで

八千草薫さんは1947年宝塚歌劇団に入団後、宝塚での大ブレイク後数多くの映像作品に出演されました。
若い頃から晩年まで愛され続けていて、どの世代からも「理想の女性像」であり続けました。
ここからは、八千草薫さんの若い頃から現在までの主な経歴をご紹介していきます!
- 10代~20代:戦火の中の少女から戦後日本の美の象徴へ
- 30代~40代:東宝の看板女優・演技派、名女優へ・最大の転機
- 50代~60代:圧倒的な気品を持つ大女優へ
- 70代~晩年:優しさと凛とした強さを兼ね備えた生涯現役
1.10代~20代:戦火の中の少女から戦後日本の美の象徴へ

10代の頃の八千草薫さん。
14歳の時、終戦1週間前、大阪空襲で自宅を焼失しました。
15歳の時に憧れだった「宝塚音楽学校」に入学、16歳で戦後第1期生(34期生)として入団しました。

16歳同年舞台「春のおどり」で初舞台を踏みました。
19歳で劇団内に新設された「映画専科」に配属され、映画界からも注目を浴びました。

20代の頃の八千草薫さん。
宝塚歌劇団の歴史において「気品あふれるお姫様役」として絶大な人気を誇っていました。

21歳の頃、宝塚歌劇団の舞台「源氏物語」で圧倒的な可憐さが伝説となりました。
清純派娘役としての地位を不動のものとした

23歳「宮本武蔵」でヒロインに抜擢され米アカデミー賞名誉賞を受賞しました。

24歳で日本とイタリアの共同制作映画「蝶々夫人」の主役に大抜擢された八千草薫さん。
イタリアを渡米し、現地のオペラ歌手の声に合わせて演技を行う難役を演じ切りました。

26歳の時に映画監督の谷口千吉さんと結婚しました。
2007年に谷口千吉さんが亡くなるまで芸能界きってのおしどり夫婦として有名でした。
同年、惜しまれつつも宝塚歌劇団を退団し本格的に映像の世界へ入りました。
2.30代~40代:東宝の看板女優・演技派、名女優へ・最大の転機

30歳で出演された「ガス人間第一号」は東宝特撮映画の傑作となりました。
息をのむような美しさと気品で国内外の特撮ファンに伝説として語り継がれていた

34歳で「美しさと哀しみと」に出演、妖艶さと気品を感じさせる大人の女性を見事演じました。
カルト的人気作から文芸的大作まで幅広く出演

30代後半になると映画界からテレビドラマへ主戦を映していった八千草薫さん。
39歳で出演した「夕陽ヶ丘三号館」に主演しました。
テレビ女優としての地位を築く第1歩となる

40代の八千草薫さん、46歳の頃「岸辺のアルバム」に主演しました。
この作品で「お嫁にしたい女優NO.1」だった八千草薫さんが不倫の沼に落ちていく姿に視聴者はとてもショックを受けたそうです。

48歳の頃の八千草薫さん。
これまでの「清純派」のイメージを覆し、日本のテレビ史に残る最高傑作へ数多く出演します。
「不倫する妻」や「嫉妬に狂う主婦」等を演じ、まさに演技派としての確固たる地位を不動のものにしました。
3.50代~60代:圧倒的な気品を持つ大女優へ

50代の頃の八千草薫さん。
おっとりした上品な雰囲気の中に大人の色気や芯の強さを秘めた母親や主婦役が多くありました。
50代の八千草薫さんは各巨匠たち(倉本聰さんなど)のドラマに欠かせない存在として大活躍していました。

56歳の時に映画「ハチ公物語」に出演しました。
主人公の妻の役でハチ公を優しく見守る姿が多くの涙を誘いました。
白髪交じりでも変わらない優しい笑顔た透明感はこの頃も健在でした!素敵すぎます!

60代の頃の八千草薫さん。
60代になっても全く衰えない透明感で、数々の作品で存在感を放っていました。

長年の功績と抜群の演技力が国や主要機関から評価され、表彰されました。
60歳・64歳・66歳と受賞ラッシュをしました。

夫の谷口千吉監督と結婚後、元からアウトドアが大好きだったこともあり本格的な登山を開始しました。
50代~60代も山登りは続けており、ネパールのヒマラヤトレッキングにも挑戦したそうです。
八ヶ岳の麓に山小屋を建てる
60代で山小屋での生活を本格化させたのもこの頃でした。
電気は通っているものの、不便さを楽しむシンプルな暮らし方こそ、八千草薫さんの感性を支えていました。
4.70代~晩年:優しさと凛とした強さを兼ね備えた生涯現役

70代を迎えた八千草薫さんです。
この頃はおっとりした可愛さも維持しながら、更にすごみを感じさせる演技で大絶賛されていました。
日本映画界・ドラマ界の至宝
若いクリエーターからも絶賛されていたそうです。

40代の頃に次女役で出演された「阿修羅のごとく」で今回は母親役を熱演しました。
日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞しました。

72歳の時に長年の芸術界への貢献が認められ旭日章授章を受章しました。

76歳の時に「最愛の夫との別れ」という人生最大と言える転機を迎えました。
それまでは夫の谷口千吉さんの後をついていく歩き方だったのが、一人で生きていくという覚悟を決めたそうです。

80代を迎えた八千草薫さん。
人生の最終章を飾るにふさわしい大きなテーマの作品に出演されながらご自身のがんの闘病と闘ってました。

2017年ドラマ「やすらぎの郷」に出演されました。
倉本聰監督脚本の大ヒット帯ドラマで石坂浩二さんらと共演し話題になりました。
2018年膵臓がん発見、手術にて復帰するも2019年に肝臓への転移が判明
2019年「やすらぎの刻~道」でヒロイン役として出演する予定でしたが、降板を余儀なくされました。

病と闘いながらも「少しでも作品に関わりたい」という強い希望からすでに亡くなった設定の役を演じました。
回想シーンとして登場し、これが八千草薫さんの生涯最後の演技(遺作)となります。
人生最期まで女優として生ききる

八千草薫さんは生前「体調を整えてまた必ず現場に戻ります」と話し続けていたそうです。
引退して余生を過ごすのではなく、次の出番の為リハビリや治療に励んでいました。
「現役女優」の肩書きを持ったまま生涯の幕を閉じました。
八千草薫の昔の写真と現在を比較

八千草薫さんの若い頃は圧倒的な透明感と気品、可憐さを兼ね備え絶大な人気を誇っていました。
丸みのある優しい輪郭に、小柄でありながら和装から洋装まで見事に着こなしていました。
若い頃の八千草薫さんの美しさは、伝説的に今も語り継がれていますね!

晩年では「老いることの美しさ」をまさに体現していました。
シワも隠すことなく、八千草薫さんの「チャーミングな笑顔」の優しさを引き立てていました。
闘病中も変わらない「凛とした佇まい」

亡くなる数か月前まで公の場に登場され、闘病中とは感じさせない姿勢と穏やかな笑顔で魅了されていました。
「理想の女性像」として今でも多くの女性の憧れとなっています。
八千草薫の若い頃まとめ
今回は、八千草薫さんの若い頃について振り返りました。
- 10代~20代:戦後第一期生として宝塚歌劇団に入団、女優としての活躍、結婚という転機
- 30代~40代:東宝の看板女優からテレビドラマへの出演を果たし不動の地位を築く
- 50代~60代:圧倒的な演技力で数々の賞を受賞
- 70代~晩年:まさに人生の幕を閉じるまで現役女優として全うする

コメント