志村けんさんは、伝説お笑いグループ「ザ・ドリフターズ」のメンバーとして活躍しました。
子供からお年寄りまで世代を超えて愛される日本を代表するコメディアンです。
2020年、新型コロナウィルスによる肺炎で逝去されましたが、現在も変わらない人気を誇っています。
そんな志村けんさんの「若い頃がかっこいい!」と言われているのをご存知でしょうか?
そこで今回は、志村けんさんの若い頃を振り返りながら、昔の写真と現在を画像比較しながら検証していきましょう!
志村けんのwikiプロフィール

- 名 前 :志村けん(しむらけん)
- 本 名 :志村康徳 (しむらやすのり)
- 生年月日:1950年2月20日
- 年 齢 :享年70歳
- 出身地 :東京都北多摩郡東村山町
- 血液型 :A型
- 職 業 :芸人•タレント•俳優
志村けんさんは、東京都北多摩郡東村山町(東村山市)出身で享年70歳です。
井山淳さんとお笑いコンビ「マックボンボン」を結成しデビュー、自然消滅後、ザ•ドリフターズの付き人に戻ります。
東村山音頭で大ブレイク!
2020年のコロナウィルスによる肺炎で亡くなる直前まで、テレビの第一線で活躍していました。
志村けんの若い頃がかっこいい!

志村けんさんは、お笑いに対する情熱で過激なコントを生み出すまさに「職人気質」でした。
若い頃は「かなりのイケメン」として女性ファンを中心に爆発的な人気を誇っていたそうです。
SNSでも志村けんさんの「若い頃がかっこいい!」と話題になっています!
1991年の志村けん かっこいい pic.twitter.com/RJxynRVEwi
— ken kagami (@KenKenkagami) February 7, 2020
若い頃の志村けんかっこいいよなあ…
— 𓅸 ⓟⓘⓚⓞ 𓅸 (@takaokapiko) June 14, 2019
ジュリーと一緒に出てるのとか最高😂
ここでは、志村けんさんの「若い頃がかっこいい!」と言われる理由を3つのポイントに絞って詳しく解説していきます。
- スタイリッシュな目元と甘いルックス
- トレンドのヘアスタイル
- ギャップのある知的な雰囲気
1.スタイリッシュな目元と甘いルックス

志村けんさんの若い頃がかっこいい!と言われている1つ目は、「涼しげな目元と甘いルックス」です。
切れ長のシャープな目元と、通った鼻筋が相まって、ミステリアスな色気を持っていました。

クールなイメージを持つ一方で、笑った時に見せる表情にはどこか甘い優しい雰囲気が漂っていました。
ギャップのある笑顔
ふいに見せる少年のような、笑顔の甘さが際立ち多くの女性ファンを虜にしていました。
2.トレンドのヘアスタイル

志村けんさんの若い頃がかっこいい!と言われる2つ目の理由は「流行の髪型」です。
当時の、最先端を取り入れたトレンドのヘアスタイルを次々と取り入れていました。
若い頃の志村けんさんは、最先端をいくロックスターや、アイドルのような雰囲気があったそうです。

サラサラのマッシュロングや、色気のあるウルフカット、ニュアンスパーマなど現在でも形を変えながら残っている髪型ばかりです。
まさに、1970年代~80年代の日本のメンズのトレンドをけん引していました。
3.ギャップのある知的な雰囲気

志村けんさんの若い頃がかっこいい!と言われる3つ目の理由は「ギャップのある知的な雰囲気」です。
単なる面白いお兄さんだけではなく、この時代のカリスマとして人気がありました。
コントの志村けんさんは、奇声を発したり変顔をして全力で笑いを取りに行ってました。
計算し尽くされた間や子供から大人まで一瞬で爆笑させてしまうネタは、まさに天才と言えます。
完璧にバカを演じ、笑いを取る姿はまさに大人の知性を感じました。

カメラの前ではとてもひょうきんなイメージがありましたが、裏では非常にシャイで静かな人だったそうです。
一切の妥協を許さないプロのクリエーターの一面も持っていた
テレビでの激しいテンションと、私生活の落ち着いた紳士的な佇まいのギャップは多くのファンを魅了していました。
志村けんの若い頃~現在まで

若い頃の志村けんさんは、端正な顔立ちのイケメンとして知られていました。
これまでは、志村けんさんの若い頃がかっこいいと言われる理由について3つのポイントに分け紹介しました。
ここからは、年代ごとに輝かしい経歴を一緒に見ていきましょう!
- 20代~30代:伝説的なギャグの誕生!激動の黄金期
- 40代:爆発的な人気を確固たるものに
- 50代:新しい代表作との出会い
- 60代~晩年:偉大な喜劇役者として伝説へ
1.20代~30代:伝説的なギャグの誕生!激動の黄金期

20代の頃の志村けんさんです。
1972年22歳の時、ドリフターズの付き人だった頃、同じく付き人だった井山淳さんとお笑いコンビ「マックボンボン」を結成し芸能界デビューをしました。
芸能界デビューから2年後、1974年に脱退した荒井注さんに代わり、正式メンバーとなりました。
当初は、前任の荒井注さんの存在感が大きすぎ、舞台に上がるだけでブーイングを浴びたこともあるそうです。
「全然そういうことは想像もしてなかった、ドリフの中のメンバーに入るとかいうことは一切なかったですからね。うれしいのと『どうするんだろうこれから』っていう、不安もありましたね。だって、全員僕の師匠ですから、言ってみれば。その人たちの仲間に入って何ができるのかなって思って」と当時の心境を明かした。
引用元:スポーツ報知
そんな、志村けんさんが人気メンバーになるきっかけが訪れます。

ドリフターズ加入から2年後の、1976年26歳の時に「8時だョ!全員集合」で披露した「東村山音頭」が全国の子供たちの間で、大ブームとなりました。
このブームをきっかけに、世間の評価は変わり一躍トップスターへと駆け上がりました。

1979年29歳の時に、加藤茶さんとの名作コント「ヒゲダンス」が生まれました。
手品ではなく、実際に練習を重ね行われたコントでした。
生放送という「失敗するかもしれない」という極限の緊張の中で、成功した瞬間やわざと見せる失敗のバランスが子供から大人までを夢中に!
45年経った現在でも宴会芸や結婚式の余韻、学校の出し物の大定番となっています。

1980年30歳を迎えた志村けんさんは、変わらず日本中の子供たちを熱狂させていました。
「カラスの勝手でしょ」やひとみばあさんの原型となる老人コントの「あんだってぇ?」等、たくさんのギャグを生み出しました。

現在でもじゃんけんをする時に自然と使っている定番フレーズ「最初はグー」は、実は志村けんさんが30代前半の時に考案し世界に広めたんです!
「最初はグー」の元祖は、お笑いタレントの志村けんさん。1970年代に放送されていた国民的番組『8時だョ!全員集合』のコント内で、じゃんけんのタイミングを合わせるための掛け声として考案された pic.twitter.com/f9wyN6yog9
— KITA×KITA (@KITAKITAKSMY) July 8, 2026
お笑いの枠を超えて「日本人文化そのものを変えてしまった」志村けんさんのもっとも偉大な発明の一つでした。
8時だョ!全員集合の終了
1985年35歳の時に、16年間続いた伝説の番組が終了しました。
誰もが「ドリフの時代は終わった」と言われていたそうですが、志村けんさんの快進撃はまだまだ続きます。

1986年36歳の時に「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が始まりました。
相棒の加藤茶さんとタッグを組んでスタートした伝説の番組でした。

同年、「8時だョ!全員集合」の1コーナーだった「志村けんのバカ殿様」が2時間のスペシャル番組としてスタート!
スタート以来、30年にわたって国民に愛されるまさに、志村けんさんの生涯の代表作で最高峰のキャラクターになりました。

1987年37歳の時に、初の単独レギュラー「志村けんのだいじょうぶだぁ」が始まりました。
この番組から「変なおじさん」「ひとみばあさん」「デジ男」「いいよなおじさん」等、現在も語り通がれる名物キャラクターが次々と生まれました。

志村けんさんの20代~30代は、1人の若者が大バッシングをはねのけ「日本のお笑い界の頂点」へと駆け上がったまさに壮絶な激動の20年間でした。

2.40代:爆発的な人気を確固たるものに

40代を迎えた志村けんさんです。
40代前半は30代後半からの人気が、さらにパワーアップした時代でした。
非常に照れ屋でフリートークを避けていた
コントやギャグで多くのファンを笑わせてきた志村けんさんですが、実は「素の自分を見せるのが恥ずかしい」という思いがあったそうです。
数々のギャグとキャラクターでお茶の間を笑わせてきた志村さんだが、素顔は寡黙で恥ずかしがり屋だった。カメラが回っていない場所ではゆっくりと言葉を選んでしゃべる。テレビ番組のフリートークについても「生活の中で面白いことがないから笑えるようなことはしゃべれない」と控えめだった。
引用元:スポニチ

コントのメイクをしないとバラエティ番組にもほとんど出演していなかったそうです。
地声が低い事も、この頃のテレビでは知られていませんでした。
「変なおじさん」「ひとみばあさん」「バカ殿様」は30代後半からさらに熟成され、40代にして完全に定着しお茶の間の定番として、人気を博していました。

40代後半の志村けんさんは、30代後半か続いていたゴールデンタイムのバラエティ番組が一区切りとなりました。
その後は、若い世代に向けて、深夜コントへの挑戦を行います。
46歳の時に、亡くなる2020年まで続く深夜枠の原点、基盤が作られていきます。

90年代後半は、深夜番組をきっかけに生み出された「アイーン」が大流行し、社会現象を巻き起こしました。

1999年49歳の時に、映画「鉄道員(ぽっぽや)」でザ・ドリフターズの映画を除いて、生涯唯一となった本格的な映画出演をしました。
この頃、テレビのコント職人としてのプライドを持っており「自分は役者ではないから」と映画やドラマ出演の依頼を断っていました。
そんな時に、主演の高倉健さんが、志村けんさんの喜劇の才能に注目していて「どうしても共演したい」と熱望していたそうです。
「鉄道員(ぽっぽや)」で映画に単独初出演。原作にはない回想シーンでの出演だったが、こちらも健さんや降旗康男監督の熱烈なラブコールがあった。志村さんは後に、自宅の留守番電話に健さんから直接メッセージが入っていたことで出演を決意したと語っている。
引用元:スポニチ
「鉄道員(ぽっぽや)」は、志村けんさんの役者としての才能が知られた唯一無二の記念作品となりました。
40代の志村けんさんはゴールデンの絶対王者から、深夜コントの職人へと変貌を遂げた10年間でした。
3.50代:新しい代表作との出会い

50代の志村けんさん。
この頃は、これまで続けていた深夜コント番組に加えゴールデン帯で新たな代表番組が生まれました。
2004年、54歳の時にスタートした志村けんさんにとって、新境地となった動物バラエティ番組です。
「志村園長」としてチンパンジーのパン君を中心に多くの動物たちと心を通わせていた!
子供からお年寄りまで、幅広い世代に愛されたご長寿番組となりました。

2006年56歳の時に、志村けんさん主宰の舞台「志村魂」を旗揚げします。
演劇・コント・津軽三味線演奏を行い「生の笑いと涙」を届ける事をライフワークとしてこなしていました。

52歳の時に著書「『志村流』金・ビジネス・人生の成功哲学」を発表しました。
人生の時間換算「人生を1日の24時間に置き換える」という有名な考え方を発信し、「54歳はまだ夕方の6時(夕食前)」であり、何かを始めるのに遅すぎることはないと世の中の中年層を勇気づけていたそうです。
50代の志村けんさんはコント職人としての活動だけではなく、人生哲学の発信や舞台への挑戦など活動の幅を広げるなど大きな変化がありました。
4.60代~晩年:偉大な喜劇役者として伝説へ

60代を迎えた志村けんさん
この頃の志村けんさんは、変らない人気を維持していました。
「志村軒」「志村劇場」等、ゴールデン番組とは一味違う、深夜枠で若手芸人や、女優達と泥臭くも本格的なコントを追求していました。

2020年、70歳を迎えたばかりの頃、NHK連続テレビ小説「エール」に出演していました。
生涯最初で最後の朝ドラ出演で、テレビドラマにおける遺作となりました。
コメディアンとしてのイメージを壊さない様に、役者業をほとんど断っていた志村けんさんでした。
しかし、並々ならぬ覚悟でこの作品には参加しており、常に台本を持ち歩いてセリフを頭に叩き込む姿が見られていたそうです。

2020年2月20日に70歳を迎えた直後、3月下旬に新型コロナウィルスへの感染が判明しました。
2020年3月29日新型コロナウィルスによる肺炎で逝去
テレビでは速報が流れ、日本中に大きな衝撃と深い悲しみが広がりました。
菅田将暉さんとW主演を務める予定だった映画「キネマの神様」では、親友の沢田研二さんが代役を務めました。
志村けんさんが亡くなったあとも、特番や志村けんさんの意思を受け継ぐ芸人たちによる番組が放送されています。
志村けんさんは昭和・平成・令和の3つの時代で、活躍した「伝説の喜劇王」として今後も語り継がれるでしょう。
志村けんの昔の写真と現在を比較

若い頃の志村けんさんは、非常に端正な顔立ちでかっこよく、アイドルのような人気を誇っていました。
長髪のロングヘアや、スマートな体型、高い鼻筋等、端正な男前として女性ファンを魅了していました。

若い頃と60代の志村けんさんの比較画像です。
比較してみると若い頃は、最先端を行くアイドルのような二枚目な雰囲気に対し、年齢を重ねるにつれて「親しみやすい近所のおじちゃん」のような雰囲気に変化していってますね!

晩年の志村けんさんは、日本中から愛される「親しみやすさ」がありました。
洗練された大人の渋さも兼ね備えていた
コントでの奇抜なキャラクターとは反対に、素の志村けんさんは非常におしゃれでダンディな雰囲気があったそうです。
亡くなる直前まで「現役の喜劇役者」として、走り抜けた志村けんさんでした。
志村けんの若い頃まとめ
今回は、志村けんさんの若い頃について調べました。
- 20代~30代:日本のテレビ史に残るスターへと駆け上がる
- 40代:定番キャラクターへの定着、日本最高峰の喜劇役者へ
- 50代:日本中から愛される国民的おじさんのイメージが定着
- 60代~晩年:究極的な親しみやすさと、大人の渋さを完ぺきに調和、まさに伝説のコメディアンとなる


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